Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://mar2002.blog92.fc2.com/tb.php/86-7ee52788

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

2013年4月6日第7回 シンポジウム 第三部 要約

シンポジウム(第三部)
質疑応答・懇談 次回ご案内 
要 約

総合司会 おくつろぎいただきながら、質疑応答に入らせていただきます。ご質問のある方は挙手をお願い致します。
千葉 これからは今までの話に関係なく(あってもいいですが)、いろいろな話題を皆様から出していただき、話し合っていきたいと思い時間を長く取っていますのでご自由にどうぞお願い致します。

総合司会
 最初にこちらの方からご指名させていただきます。今、グローバル化に向かって、会社では公用語を英語にするとか、小学校でも英語教育をする、ですとかグローバル化が謳われています。それに対する反動は必ずでると思います。海外生活も長かったということで、EYさんにお話しいただければと思います。
EYさん ここにいます私の主人はスウェーデン人です。5歳と7歳の男の子と女の子がいます。毎日子育てに追われています。今日の教育に関するお話を興味深く聴かせていただきました。治子先生へのご質問をさせていただきます。フィンランドは主人の国・スウェーデンの隣の国なのですが、フィンランドは学力が世界でトップと言われています。先生はどういうごきっかけでフィンランドのご専門になられたのでしょうか。
早川 私は別にフィンランドの専門というわけではないのですが、1949年にフィンランド人の宣教師と出会ったのが私とフィンランドの最初の出会いです。ですからほぼ終戦直後です。フィンランドからの宣教師は1900年から日本に来ていたんです。そして戦後、フィンランドも敗戦国だったにもかかわらず、宣教師が日本に送り込まれました。フィンランド・ミッションの人たちに出会ったのが私が中学生の時です。それが私とフィンランドの関わりの最初でした。私はたくさんのことを学んで、今日あるのは彼女のお陰だと今でも思っています。たくさんの精神的な豊かなものを彼女から受け継いだと思っています。その方は、最後まで独身で、満90歳になられる1週間前に亡くなりました。私が喪主でフィンランドで葬儀をいたしました。それぐらい私と深い関係の方でした。

EYさん 有難うございました。もう一つよろしいでしょうか。
3-001_20130826070955b08.jpg

フィンランドを初めとして、北欧の国々はのびのびとした子育てをすると言われていますが、幼児教育や初等教育を比較しますと、日本とは正反対であるような気がします。教育の環境が豊かで、子どもに自主的に考えさせる。一方、日本の初等教育はどちらかというと、先生方からこうしなさい、皆と同じようにしなさいという部分が多くあると思うのです。その辺りは如何でしょうか。
早川 子どもの教育についてフィンランド人がどうしているかを少し話してみます。とても厳しいですよね、駄目なことは駄目、良いことは良い、と。例えば、大人同士の会話中に、日本だと子どもがとてもうるさいですよね。大人の話の中に入ってきてガチャガチャやりますでしょ。例えば教会の礼拝のとき、(フィンランドの)子どももお母さんの側にいるけれども決して騒いだりはしない。日本の教会に行くと、子ども達がうるさいです。それは親の躾が悪いからです。そういうところで、他人に迷惑をかけない、自分がちゃんとする、大人と子どもは違うんだよ、というようなことをきちんと教えているのです。フィンランドが何故、あんなに教育が盛んでOECDの中でトップにあるのかというと、フィンランドは資源も何もない土地です。自分たちは知的な財産でしか国を生かしていくことが出来ないというのが彼らの考え方ですから、教育にたくさんお金を使っています。先生方のレベルも高い。教育に対して投資をしているという考えです。先ほど、「費用対効果」ということが出てきましたが、確かに「費用対効果」は結果としては出ています。ですが、教育に投資をすることで、国がお金をたくさん使って、いい先生たちでいい教育をすることで国が栄える、ということが現実化しているというのが今のフィンランドです。他にお金を使うところがたくさんあっても、先ず教育に使いましょうと。
学校教育でのびのびとしていると言っても、日本と違うのは、やり方が違うだけです。
例えば、日本の場合は何でも平等、皆同じでなければならない。親がうるさいのです。
出来ない子どもは残して廊下の隅っこで補習教育をやると、「うちの子どもは差別されました」と日本の親は文句を言ってくる。フィンランドではそれが当たり前。
出来ない子どもには、それ相応に補助をする、出来る子どもにはもっと難しい教材を与えてどんどん進んでやらせる。
それから自立して物事を考えるためには、基礎教育が大切ですよね。たくさんのものがベースになければ、何も生まれてこないのです。弁証法的発展と言いますよね。たくさんものが入っているから、そこから新しいものが出てくるのです。
数日前、暖かいときがありましたね。うちでアルバイトで働いてくれている子に

「春眠暁を覚えず  処処に啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落つること知る多少」

この漢詩知ってる?と言ったら、知らないというのです。では、宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」は言える?と聞くと「あぁ、そんなの習ったことがあるかも知れない」と答えました。主人が「枕草子」の冒頭は?と聞いたりと始まったのですが、大学を卒業した子がそんなことも知らないんですよ。如何にろくでもない教育をされてきたかということです。でもその子はしっかりした子で、「先生、私たちいい加減に生きてきたんですね。これからしっかりしなくちゃいけないと思いました」と言ってくれたので、私はこれからますます教育しなくちゃいけないと思っています。
今の政治家も、大人も子どもも皆、基礎教育が足りません。本を読んでいない。たくさん本を読んでいません。フィンランドの子ども達はもの凄くたくさんの本を読んでいます。図書館がとても発達している国です。
ITが発達していて、コンピューターもみんな出来ます。

3-002_201308260713357a6.jpg
小さい幼稚園の子がコンピューターを使っていろんなことをやるのを見て私はびっくりしたのですが、でも泥んこになって遊ぶのも大好きです。そして本をたくさん読みます。携帯電話を指で操作することしかしないような、日本の子ども達とは全然違います。それは、彼らは自然と共生する、自然の中で育っていかないと一人前にはなれないと思っているからじゃないのかな、と考えています。
フィンランドには森がたくさんあります。日本とフィンランドでは森林の形態が違います。日本は山、向こうは平らな森林で、森に対する関わり方が違います。
もうすでに終わってしまいましたが、「フィンランドのくらしとデザイン展」という素晴らしい展覧会が全国6箇所で巡回しました。最後の開催地の兵庫県知事が「フィンランドと日本は、同じように森が60数パーセントで、同じ森の国だから云々」と仰いました。ですが、全然森との関わり方、考え方が違うんです。森の中で、ほんとうに自然の声を聞きながら、どう人間が生きるべきかをみんながそこで学ぶ、そういうことをさせている国だということが大きな違いかなと思います。
教育も非常に厳しいのです。私の知っている日本人が、フィンランド人と結婚してお子さんが二人いますが、子どもたちはたくさん覚えなきゃいけない、基礎的なことをしっかり覚えさせられる。覚えることをしっかりやった上で、いろんなことが生まれてくるのです。でも日本ではペラペラの教科書で、覚えなくてもいいのです。「ゆとり」というのはそういうものではないはずです、本来は。
落第をするのが平気なんです。小学校で落第したら、日本ではどうなるでしょうか。親が怒って学校に行くでしょう。ですが、向こうでは出来なければ、自分たちは落第して一人前になれて良かったと思う。総理大臣になった人も落第したということを平気で言います。「自分は小学校のとき落第した。でもそれが良かった」と。
それをもっとえげつない言葉で言うと「得か、損か」と考えて頂戴と、私は皆に言います。自分にとってちゃんとやらないことは損ですね。落第しても1年間余計に勉強させてもらうことは得なんですよね。得か、損かで考えたら一番、簡単じゃない?と言うのですが、そういうような感覚で皆さんのお子さんを育ててくれるといいな、と思います。

総合司会 ではそちらの方、お願いします。
SFさん 千葉先生は40年間、学習院で教職に奉職されていて今、心に一番残っていること、たくさんあると思うのですが、嬉しかったことでも、積み残したことでももし可能でしたら拝聴したいと思います。宜しくお願い致します。
千葉 よく数学は役に立つのかという質問されますが、日常生活を営む上では、役に立たないし必要もないと思います。ですが、同じ教室という空間である意味で無駄なことをやったという記憶はずっと残ると思います。その結果、例えばこの会に今、参加してくれているN君やM君は私が最初に勤めた頃の教え子です。また、昨春卒業した人たちも来ています。つまり、最初の生徒からから最後の生徒までここにいます。そういう意味で、先ほどの教育効果の話と繋がりますが、短いスパンで見るのではなく、長いスパンで見る。この会を運営してくれているかなりの人たちは、50代でそれぞれ仕事を持っているのですが、得にもならないことを一生懸命やってくれています。そういうあまり得ることができない人間関係、それをある意味では宝物ではないかなと思っているのです。そこから発展した人間の繋がり、そうした現在希薄になってきつつあるものを、嬉しくまた大事にしたいと思っています。
嫌なことはいろいろありました。自分では間違っていないと思ってしたことが訴えられたりとか、直接話してくれればいいことが突然、別のところ、例えば裁判所からとか、教育委員会からとか表面化したことなどはまぁ、嫌なことと言えましょうか。世の中の流れとはいえ、水臭いなと思いましたね。
SFさんは今日、中国から日本に来て久しい方をお連れいただきましたので一言お話いただければと思います。
SFさん 補足しますと私の隣に座っている女性SI さんは、今年4月から大学生になった人で、ご両親のお仕事の関係から、中国からお見えになって、小学校3年生のときから日本に住んでいます。

3-003_20130826071610e5f.jpg

SIさん 私はこういう会に参加したことは今回初めてです。こういう体験は凄く大切だなと思います。4月から大学生ですが、まだまだ大学というのが分かりませんが、自分の考えをしっかり持っていきたいなと思います。こういう機会を与えてくれたことに感謝いたします。

総合司会 では、そちらの方、お願いします。
AO氏 先日、昔の高等科の友人たちと集まったとき、「いじめ」についての話になりました。中には「いじめられた」という人物もいて、本人は笑っていましたが。
千葉先生にお聞きしたいのですが、高等科でも「いじめ対策」があると思いますが、それが機能しているのか、それが生徒にどういう影響を与えているのかお聞きしたい。もう一つは、「いじめ」と断定するのはどういうケースのときか。この2点についてお聞きしたいと思います。3-004.jpg
千葉 これは非常に難しいご質問だと思います。「いじめ」というのは先ほども申し上げましたように、人が嫌がることをじわじわとやっていくわけです。よく「いじめ」の撲滅計画とか言われたりしますが、学校だけではなく会社等組織の中では無くすことは難しいと思います。差があるということを探すという習性が人間にはあるからです。今は、形を変えた「いじめ」というものが現れてきています。昔のように、殴るとか、暴言を浴びせるとかいうものではなく、表面的には出てこないものが生じてきています。携帯電話やネットを使うとかで不特定多数の人間に知らせる、というような表面化するまで時間がかかるようなものです。ある意味で暗く陰湿な、いつどこで出てくるか分からない。いじめている方と、いじめられている方が分からなくなってきます。やられている方が、逆にネット上に書き込むとかして、いじめている方が本当にいじめているのか、いじめられているのか分からなくなってきます。そういうことから、断定することが以前のように簡単ではないことが生まれてきました。これは一学校という場だけではなく、世の中全体がそうなってきていると思います。学校でのいじめについては、最終的には環境を変えるという覚悟をされた方が、いい場合があるのではないかと思います。あとは、先ほどパワーポイントで示しましたように、いろいろな幅広い付き合いをするようにすること、例えば部活や、趣味での付き合い等々、多様化した方がいいと思います。学力が低い、運動神経が鈍い等同じようなことを抱えている人物がたった一人でも見つけられれば、付き合いが深くなってくると思います。そういったことを大事にさせたいと思ってやってまいりました。
AO氏 有難うございました。

総合司会 他にいらっしゃいましたら挙手をお願いいたします。
OS氏 私は今年32歳、まさにロストジェネレーション世代でございます。本日は、論点が多岐に渡っておりましたが、根底に流れることは今後の一人ひとりのあり方について問われているという素晴らしいものでした。ご質問の前に、今日のお話にリンクすることを一つお話しし、その後、質問させて頂きます。
私の弟は俳優でして、先日、被災地・気仙沼の小中高生が被災の体験を大人たちに知ってもらおうという舞台に、彼も参加しました。そこでは、小中高の生徒たちが自らの被災体験を舞台の上で演じていました。親を亡くしたり、友達も亡くしたりという辛い経験を演じていましたが、その中で、人への思いやりとか温かさというものが、強く伝わってきました。辛い経験をしたけれども、未来に向かって、世界のさまざまな歪みがあることから目を背けずに、思いやりを持って人に接していこうというメッセージを持った舞台でした。
早川先生のお話にあった通りで、他人のことを思いやる気持ちとか、厳しさを味わった中から自ら持った主体的な気持ち等々、子どもの素直さに感動しました。
今日のお話の中で、子ども達には未来があるのではないかと改めて感じました。子どもは柔軟で、未来は明るいなと思いました。
一方、私の世代あるいはもう少し上の世代というのは、硬直化して固まってきているのではないかなと思います。先ほどご指摘がありました基礎教育をしていないとか、耳が痛くなることがたくさんあります。私も春眠暁を覚えずの方でした(笑)。子ども達は柔軟であっても、その子ども達を育てる世代がむしろ、もっと教育されるべきだと改めて思いました。

3-005.jpg

早川先生に質問ですが、日常働いていますから大人を教育する場というのは、なかなかないと思いますが、どうしたら大人がしっかりした教育を受けることができるでしょうか、お教えいただければと思います。
早川 なかなか良いアイディアというのはないと思いますが、先ずは自分が足りないということを自覚してもらうことが大切じゃないでしょうか。自分がまだ十分、学んではいないということが分かったら、やっぱりいろんなことを知ろうと思って、たくさん本を読んだりするのではないでしょうか。人から教えてもらうからするのではなくて、自分自身がこうありたいと思ったら、夢中になってやるんじゃないでしょうか。若い時じゃないと勉強できないんですね。私はもう、流石にこの年になると新しいことをやることが難しくなります。20代、30代、40代は羨ましいくらい何でもよく身につくはずです。私が司法試験を受けたのは、満30歳の時に、(司法試験は)日本で一番難しい試験だということを人から聞いたものですから、「じゃぁやってみようかな」と思ったのが最初です。非常に不純な動機から始めました。不純な動機というのは、私は大学でいい加減に勉強していたから、自分に実力がないことを覚えていたからです。客観的に、自分で自分を納得させるものが欲しいなと思っていました。そのときに、働いていた同僚が一生懸命勉強していました。何を勉強しているの、と聞いたら司法試験を受けるんだと言うわけです。そのときに、日本で一番難しい試験だと聞き、じゃぁ私もやってみようと思ったのです。その方は最後まで受かりませんでしたけれども、私は働きながら36歳で受かりました。丁度今年で40年の弁護士生活を迎えました。
自分が足りないんだ、十分なことが出来ていないんだ、自分に対して忠実に耳を傾けるとここで何が出来るか。その頃はまだ30代でしたから、いくらでも入る余力がありました。自分がこうありたいと思ったら、一生懸命勉強するのではないでしょうか。人に教えてもらうのではなく、自分が勉強すること。勉強すると、次々とこれも知りたい、あれも知りたいということが出てくるはずです。
どうか、ご自分でご自分の弱いところ、興味のあるところを見つけ出して、若いときじゃないと出来ないことですから、しっかり勉強してほしいなと思います。そう思われたということが素晴らしいことですから、きっとこれからちゃんとやれると思います。どん欲になって欲しいですね。よくばらないと出来ません。得か損かと考えて、これが自分に得だと思って頑張って下さい。
OS氏 有難うございました。

千葉 石川さん、少し遅れていらしたので申しますが、第一部の方で最近、自分にはリーダーシップがありますというようなことを平然という若者が多い、こちらが聞いていて恥ずかしくなることを平然と言う若者についても話したのですが、日々、学生らとの面接をされている石川さんはどう思われますか。
もう一つは、全然今までの内容と無関係ですが、最近、『海ゆかば』で代表される信時潔が非常に取り上げられる機会が多いような気がします。例えば、飾り気のない美だとか、錆のある美だとか言われています。彼は学習院の院歌あるいは慶應の塾歌や寮歌だとか、多くの作品もあります。以前、石川さんとは信時潔論をしたことがありますが、最近のこの風潮をどう思われるかお聞きしたい。
石川 遅参いたしまして申し訳ありませんでした。今、福島の除染をやっております。今のご質問に答える前に一つ、福島の除染、森林の問題についてお話しさせていただきます。先ほど早川先生が仰いましたが、私はこの10年ほどの間、日本の森林の保全ということをやってきています。自分たちで2000ヘクタールの森林を買いまして、明治維新以降、ヨーロッパの真似をして植林をしたものを日本古来の木に戻していくという事業をやっております。この事業をやっていますと、ほとんど森林の中にいます。私はこれまで海外でも、国内でも金儲けばかり考えてきたのですが、森に入っていると馬鹿らしくなってくるのです。どうせ死んじゃうのに、何故、お金が大事なのかとか、価値観が大きく変わります。合理的でないもの、収益性のないものだとか、成長性のないものに価値があるんだということが、森の中にいると分かってきます。
つまり、明治維新以降、成長と合理性と収益性を言い続けて日本は頑張ってきたわけです。これが森の中に入っていますと、すっかり気持ちがきれいになって、日本人の価値や美はそんなものじゃないんだということを実感します。
今、私どもは、福島の森を全部、除染して日本古来の木を植え直そうという事業をやっております。
これが呆れてものが言えないのですが、地元の人たちにとって良いと思って国と一緒にやるのですが、地元は余計なことはしないでくれ、というのです。5人家族がいるとすると、一月50万円貰える、セシウムで汚れているからです。ずーっと50万円貰った方が良いんだというのです。
除染をしなければいけないとか、国が何とかしなければと言っているときに、地元はお金が欲しいのです。
何も働かなくてもお金が貰える日本のシステムが問題であって、私はお金ではなく仕事を与えればいいと思っているのです。が、実際に仕事を持っていって一緒にやろうよと言うと、余計なことはしないでくれ、何もしないでも5人家族で月々50万円貰えば良い、除染はしない方が良いという反対運動が起こるのです。
悲しいというか、凄まじい状況です。
福島の原発の状況は極めて不安定な状況が続いておりまして、あそこで震度6の余震が起こると、現在メルトダウンしているものが、また臨界に達してこの前の爆発以上のものが起こるリスクが99.99%あると言われています。

3-006.jpg

にもかかわらず、アベノミクスでわが東京にいると株は上がる、景気はよくなって良かったなという雰囲気になっている。このギャップですね、日本人はまったく3.11で変わらなかったということです。東京大空襲の3.10があっても変わらなかったと同じように、3.11があっても変わらない、こういうことを強く感じました。
昨日も今日も、福島であきれて唖然としてしまいました。住民にご説明しようとすると、住民は「余計なことをするな」の一点張りです、「補助金がもらえるのに何だ」と。
それに対して「私どもは補助金はいりません。手金でやります」と言ったら、「あんた、暗殺されるよ!」
こういう日本人になっちゃっているんです、残念ながら。
次に先生のご質問にお答えします。
私は「自分にはリーダーシップがあります」と言う学生には「やってみなさいよ」と言います。いくら口で言っても、結局、実行力があるか否かが採用のキーポイントです。
例えば、「テレビは害がある」と言う学生には「じゃぁ、テレビを買うな」と言います。私もずっと40年、50年とテレビは見ないと決めていて、家にはテレビがありません。そういうexecutionつまり「実行」が現在の学生には出来ない理由の一つに、学生のことを社会人と認めていない日本に原因があると思います。
人間、生まれたときから社会人なのです。母親と父親という3人の社会、幼稚園に行けば幼稚園という世界があって、小中高、さらに大学とみんな社会があるのに大学を卒業したとき、社会人1年生が生まれるという新聞報道がある。こういう環境下で育った子どもが先ほど先生が仰ったように、平気で「自分にはリーダーシップがあります」というと思うのです。例えば、「先生になる」というのは、社会人になったのではなく、学校を卒業されて、先生としてのプロになったということだと思います。
採用時に問われること、それは実行力があるか否かだと思うということを述べておきます。
次に二つ目のご質問ですが、学習院の当時の院長・安倍能成先生と信時潔との関係というのは、時間があるときに研究してみたいテーマの一つです。
戦前の学習院は宮内庁立つまり国立の学校でございます。その国立の学校が皇室と密接で、歴代院長が陸軍大臣、海軍大臣、元帥というような人間が多かった。そういう背景からGHQから学習院廃止ということが出ました。文部大臣もなされた安倍能成氏、彼は夏目漱石の高弟でもある哲学者です。私が初等科の時に彼の言われたことで二つだけ覚えています。一つは正直が第一、二つ目は偽物はメッキが剥がれるということです。
その安倍先生が昭和21年、学習院廃止を言うGHQといろいろと交渉されて、魚屋、八百屋、大工の子どもが入れる学校にするということを明快に仰ったわけです。
その中で、

もゆる火の火中(ほなか)に死にて
また生(あ)るる不死鳥のごと
破(や)れさびし廃墟の上にたちあがれ新学習院<


で始まる学習院の院歌を作詞されました。

3-007.jpg
作曲は信時潔です。
この信時潔という方は、バッハのフーガの研究家で、ヨーロッパでも大変に有名な方だったのですが、戦後はGHQに睨まれました。というよりも、山田耕筰から「彼(信時潔)は軍国主義者だ」と訴えられました。山田耕筰が自分を売り込むために、逆にやられた素晴らしい日本人です。慶應の寮歌も作られたようですが、皆さんご存知かと思いますが、大友家持作詞の『海ゆかば』も信時潔の作曲です。
これを軍歌と言われたりしますが、これは軍歌ではありません。日本の古典が分かる方が聞いたら、明快に文学歌だとお分かりでしょう。郷愁を持った日本人の心を歌ったものです。そういう信時潔先生が、今は少し復活してきているというのは、とても嬉しく思います。
逆に先生に質問ですが、日本の教育の中で何故、音楽だけが平均律の教育をいまだに徹底してやっているのでしょうか。他の教育では、古文、漢文もあるのに、日本の学校で音楽教育として平均律以外のことを教えている学校がどこにあるのかを知りたいですね。
早川 今はありますね。お琴とか三味線とか小学校で少しずつ導入されつつあります。だから少しずつ変わってきています。
石川 有難うございます。私は信時潔の復活を心から期待するとともに、時間があったら是非、安倍能成先生と信時潔先生の関係をじっくり調べてみたいと思います。古き良き学習院の伝統を安倍能成先生はどう考えておられたのか、と考えたとき私は(安倍先生は)信時潔に託したのだと思います。でなければ、信時潔が作曲を受けるわけはないし、また安倍さんも頼むわけはなかったと思います。このあたりは学習院の関係者として、しっかり研究し論文を書いていかれたらいいのかなと思います。時間があったら私はやりたいと思いますが。
千葉  信時潔は牧師の息子です。『海ゆかば』はコラージュだと言う人もいます。今日は幸い、音楽家がお一人ここに来ていらっしゃいます。信時潔はバッハに始まり、バッハに戻ると言われますが、その辺りをSTさんからお話しいただければと思います。
STさん 音楽に携わる者として、クラシック音楽はバッハに始まると思います。最近の子どもはAKBとか、ああいうものが音楽だと思っています。勿論それはそれで良いのですが、私は何となく寂しく思ってしまいます。やはり、お琴にしても三味線、それに古い童謡ですね、子どもたちがそういうことから離れてしまうことが心痛く思っております。これからの教育の中で、童謡を初め、伝統ある音楽を広めていただきたいなと思っております。

3-008.jpg

クラシックの音楽では、バッハあるいはそれ以前のもの、教会から始まったそういう流れもとても重要なことです。そういう心を子どもたちにもってもらいたいなと思っています。バッハは宗教も関わっておりますし、歴史とともに進んでいくのが音楽だと思います。歴史から音楽だけが忘れられていくような気がしておりますので、これからをちょっと期待しております。

総合司会 私も質問したいことがあって用意していたのですが、時間になりましたので質疑応答をこの辺で終了させていただきます。次回のシンポジウムについて、理事長からお話しをさせていただきます。
千葉  先ほどの早川先生のお話にもありましたように、大人はこれからはますます本を読んだりして、自分で考えるという習慣を、持たなくてはいけないのではないかと思います。
冒頭で申し上げましたように、こういう話をこつこつと言い続けていくことが私たちのミッションかな、と思っています。
そして考えるためには、何より重要なことは現実を正しく把握することです。
次回は、11月16日(土)ここアルカディア市ヶ谷で、同じ時間帯に行います。
テーマは、「考える」という点では今日の延長でもありますが、これまた非常に重要な今後の医療について(例えば、国民皆保険制度は大丈夫か、ジェネリック薬品は普通の薬品と変わりないのか、TPPに間違いなく参加すると思いますけれども、それによる医療分野への影響、高齢化による介護施設の問題等々)何人かの日々、たくさんの患者さんと接しておられるお医者様に、普段聞くことの出来ない「本当の話」をしてもらうことにいたしました。当日は4人のお医者様に話していただきたいと思っています。
ここで1分間スピーチを4人のお医者様にしていただきたいと思います。初めに忠岡先生お願いします。なお、先生のご専門は外科です。
忠岡 正直、また医療ネタかという気がしないでもないのですが、早川先生の最後のお話を、「健康で働けば、少子高齢化問題は解決できる」、と私なりに解釈しました。そう考えると医療の問題は、確かに大事な問題だと思います。良い医療を守る、良い医療者を育てるということは、まさに教育ということで全部繋がって来ると考えると、また医療について話すことも意義があると思います。個人的な意見を申し上げますと、比較的楽観しています。日本人の資質というのは本来、非常に真面目です。特に今の医学生とかを見ていますと、損得とかではなくて理想を持って学んでいると思います。ですので、是非、彼らの力を壊さないように環境を守れるように考えていきたいと思います。
千葉 次に内科がご専門の平野先生、お願い致します。
平野 爆弾低気圧が近づいていますので、皆さん今日は安全をお考えの上、早めにお帰り頂きたいと思います。ところが、話が1分で終わるかどうか…(笑)。
次回に、医療問題という議題をいただいたとき、些細な問題から考えました。先ず当たり障りのない話として、ジェネリック薬品をどう考えるのか。ジェネリック薬品を医者あるいは薬剤師から勧められたとき、「あなた方はジェネリック薬品を飲んでいるの?」と聞いてみて下さい。もし「飲んでいます」と答えたら、その医者や薬剤師は大嘘つきですから、医者や薬剤師を換えた方がいいです(笑)。ほんとに素晴らしい先生だったら、ジェネリック薬品は勧めません。胃薬とかはジェネリック薬品でも問題ないでしょうが、血圧とか心臓の薬にはジェネリック薬品はお勧めしません。オリジナルのものが良いです。
今後、高度先進医療が入ってきます。お金さえあれば受けられます。こんな話をしていくと次回話すことがなくなりますが(笑)、保険医療制度というのは基礎です。言うなれば、最低限の保証ですから(この制度は)明らかに残す必要があると思います。
TPPについて先ほど話がありましたが、これは一筋縄ではいかない問題です。本音を申し上げますと、これについては、私はそれほど抵抗はありません。もし海外から資本金のある医療が入ってきたら、私たちはひとたまりもありません。そのときは、営利に走らざるを得なくなってきます。ただ、そのときに皆さんの同意が得られるかどうか。
次回に関する布石としまして、私たちは「人の命は平等であるのか」という究極の大問題を突きつけられているのではないかと思います。「命は平等である」と言うのはおそらく日本人だけではないかと思います。
欧米人、中国人の方もそうは思っていないでしょう。ところが私たちは「人の命は平等である」という結果ですね、結果の平等においてまとまっているのが日本ではないか。欧米社会は機会の平等です。その結果、負けたんだったら皆、諦めるわけです。自分は負けちゃったんだから、ロクな医療を受けられなくても仕方がないと考えます。ところが、日本では与えられた機会ではなく、結果が全てなのです 。それが日本の良いところでしょうが、TPPというようなものが出て来たら、やはり考えてしまいます。TPPは医療だけではなく、大きな問題です。たまたま『糺の会』の社員・理事の中には、それぞれの業界で、20年30年と苦労してきた者が揃っています。食料問題然り、総合開発をしている人間もいます。流通をやっている人間もいます。教育をずっと生業としてきた人間もいます。これら社員・理事で一度勉強し直して、きちんと発表できるような機会を作らせていただきたいと考えています。
千葉 有難うございました。次にご紹介するのは、高円寺の方で4代にわたって地元の方々への医療に従事されている荒牧元先生と昌子先生です。11月にはお二方にお話しいただく予定ですが、今日は、最近ご結婚されたご子息ご夫妻、やはりお医者ご夫妻様でいらっしゃいますが、お二人からお話しを伺いたいと思います。
荒牧先生 大学病院で歯科医の臨床と研究をしております。現在、再生医療が活発に行われています。高齢者の問題もかなりあります。父ともよく話すのですが、人としての「任期」を日本人はどう捉えているのか。かなり大きな問題になるのではないかと考えております。次回、多くの先生方からもその辺りについて意見が伺えるかと思います。
N先生 妻のNと申します。私も大学病院に勤務する形成外科医でございます。若輩ですので、保険制度とかそこまでよりも、日々、目の前の患者さんと研究に明け暮れております。学会で今問題になっているのが、専門医制度のありかたについてです。現在は専門医でも1年目の医者であっても、保険制度としてはまったく変わりがありません。「自分はお金を出すからもっといい医療を受けたい」と患者さんが言ってきたときに、保険制度をどう考えていくかということ、自費と保険との差が問題になってくるのではないかと思います。最近では、所謂乳がんで胸をなくされた方が、これからはインプラントが保険適用になるとか、自費と保険の差がなくなってきているといった展開もございます。
千葉 有難うございました。本日は早川先生を初めとして、長時間、ほんとうに有難うございました。時間が大分オーバーしましたが、総合司会の方にマイクをお渡し致します。
総合司会 平野先生が11分間話したので、時間が大分オーバーしてしまいました(笑)。次回は4人の先生方がお話しになられますので、平野先生にはご協力の方を宜しくお願い致します(笑)。

3-009.jpg

本日は、『糺の会』第7回総会においでいただきまして、誠に有難うございました。
次回11月16日(土)のこの時間にこの場所でお会いすることを、われわれ社員一同心よりお待ち申し上げております。ご協力有難うございました。(拍手)

註:かつて全生徒に「オール3」の評価をした教員がいて話題になったが、平野理事のこの発言は「日本的平等」の本質を問うものであろう。

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://mar2002.blog92.fc2.com/tb.php/86-7ee52788

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

marchan

Author:marchan
千葉 糺(ちばただす)
1947年生

東京理科大学大学院修了(数学・複素関数論専攻)
平成14年~18年度学習院中等科長・高等科長。任期満了の後、学習院高等科教諭(平成19年~24年度)を経て
学習院名誉教授。

(写真は雑誌『Shi-Ba』V.43
から。黒柴マーちゃん,
愛猫いっちゃんと)

国画会彫刻家 故・千野茂氏にデッサンを学び、その後テンペラ画を中心に個展、グループ展等開催。

時間を見つけて谷中「全生庵」坐禅会参加。日本ユダヤ学会会員。
2007年、イスラエルを中心に旅行。


最近の紀要論文
(1)『イエス・千日で世界を変えた男の受難』─「『事実』と『真実』というaporia」─
学習院高等科紀要第5号(学習院高等科 2007年)

(2)『イスラエル・灼熱の旅 リポート』─荒野の民から学ぶ─
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)

(3)『ナザレのイエスはキリストか』=二千年前の一ユダヤ人の死をめぐる過ぎ去ろうとしない「過去」=
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)
(4)『ユダヤ灼熱の旅リポート2』
─平和ボケの民と臨戦態勢の民─
学習院高等科紀要第7号(学習院高等科 2009年)
(5)『聖書への旅』─「生きること」の意味を探して≪マタイ受難曲を聴きながら≫─
学習院高等科紀要第8号(学習院高等科 2010年)
(6)「パリサイ派とは何か」─現代に問う
補遺 聖書を側面から理解するために
学習院高等科紀要第9号(学習院高等科 2011年)
(7)─横顔・一七世紀オランダ絵画・印象派─西洋絵画についての一考察
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(8)聖書が私に教えてくれること
─『イザヤ書』、コルベ神父、そして山本七平─
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(9)四十年を振り返る
学習院高等科紀要第11号(学習院高等科 2013年)
(10)『院歌の周辺』 ─安倍能成 信時潔 岩波茂雄 頭山満─(学習院高等科 2014年)
(11)『ヘブライ語で学ぶ創世記Ⅰ』「ノアの箱舟」
(12)『これからの教育はどうあるべきか 数学者・秋山 仁先生との対談』(学習院高等科 2015年)
─ 今まさに問われていること ─
(13)『国際化とInternationalizeの狭間で』
─その大いなる溝─(学習院高等科 2015年)
(14)『これからを生きるために』─未来志向の経営の理念─(学習院高等科 2016年)
(15)『地球儀を傍らに』─教職追放 地政学 国際法 民主主義─(学習院高等科 2016年)

(写真は死海での筆者,
シナイ山頂での夜明け)

「現代社会の問題を糺し未来の扉を開く会」

検索したいキーワードを入力して、「検索」をクリック

Basic Calendar

<06 | 2018/07 | 08>
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

FC2ニュース

今日の天気は?


-天気予報コム- -FC2-
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。