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2013年4月6日 第7回シンポジウム 第一部 要約

第7回 シンポジウム 
第一部 要約


総合司会 本日はご多忙の中、また天候がよくない中をお越しいただきまして誠に有難うございます。ただ今よりNPO法人『現代社会の問題を糺し未来の扉を開く会』通称『糺の会』の第7回総会を開かせていただきます。

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本日の流れについて簡単にご説明させていただきます。
第一部として、本会理事長・千葉 糺から基本講演を約25分予定しております。第二部のシンポジウムでは「これから私たちは・・・」という演題で、弁護士であり、社団法人日本フィンランド協会専務理事で、フィンランドから勲章「白薔薇騎士一級章」を授与されました早川治子先生と、千葉 糺との対談を約60分予定しております。第二部終了後、ティータイムでおくつろぎいただきながら、参加者との話し合い、質疑応答の時間を設けさせていただきます。終了時間は20時35分を予定しております。
それではただ今から、第一部を開催させていただきます。
本日のテーマは、 「最終講義」そして「初講演」です。3月31日学習院を退職してからの初めての講演となります。
それでは千葉先生、お願い致します。

第一部
これまで40年、小過や中過はあったと思いますが大過なく勤めることができました。何とかこうして40年間背負っていたものを外すことが出来ました。背負っていたものを重く感じるときもありましたし、有難いと感じるときもありました。その重い物を外してこれまでとは別の観点から話し、動く第一歩という意味で「『最終講義』そして『初講演』」としました。
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お手元にこの会の定款抜粋があると思いますが、発足して4年、勉強不足で拙い内容でしたが、前回「食の問題」を論じたことで一通り定款に沿ったことをほぼ全部浅く触れたつもりです。
定款に「啓蒙的活動を行う」とあります。この「啓蒙」という言葉は、実は私は非常に苦手です。
本来の意味は「知恵を授ける」「正しい知識を与え、ものの道理がわかるようにする」というような意味です。では、なぜそういう言葉を定款に入れたのかというと、そうしないとNPO法人の認定がおりないからです。
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一方、少し勇気づけられたのは先月(三月)、亡くなられた文化人類学者・山口昌男氏の語った言葉です。
この方は、麻布中・高校でかつて日本史を教えていたこともありますが、

「学者は自分のことを研究者なんていいたがるけど、芸者、易者に近い商売として、学者こそふさわしい。もともと関心のない人に関心を持たせる、話芸の人なんです。」

と語っています。「役者」「記者」「医者」も然りでしょう。
私はこれから、辻説法的に問題点を分析して問題意識を深めることを行う「論者」になる、というような意味での「啓蒙」活動をしていこうと思っているわけです。

前回の結びにこう言いました。
「これから私たちが生活していく上では、物事を正しく伝えていかなくてはなりません。そのためには、自分たちも含めて正しく理解することが必要だ、というような結論になるのではないでしょうか。人間が自分たちを含めて如何に教育していくか、勿論これは単なる学校教育を言っているわけではありません。大人の教育も含めてです。
人間はうまく出来ていて、いやなことは忘れるようになっていますが、最近は忘れてはいけないことまで忘れてしまっているのではないかと思います。そろそろあの大震災のことを、忘れつつあるのではないかとさえ思われます。そうしたことを踏まえて、次回は次の世代あるいはわれわれ自身に対して、教えていくということについて少し話をしようということになりました。
ですので、「教育」というアポリア・難問について自分がどう考えているかということを、集大成ということではありませんが、私の方からリポートさせていただくことにいたします。」と。
これを踏まえて話していきますが、あまり「教育」ということに拘らず、早川先生とのお話も多岐に渡って広げていくつもりです。

少しずつ本論に入ります。
2年前、「想定外」とか「絆」という言葉が盛んに使われましたが、それも風化してきた感があります。
2009年夏には2大政党の幕開けと言われた民主党による政権交代も、3年数か月して脆くも崩れ落ち、あまり分析もないまま民主党は消えそうな状態です。
私が40年間勤めたということは1970年代から2010年代までということです。
この間、日本は惨憺たるものと化してしまいました。日本を牽引する最高責任者・総理大臣は34代24人替わっていますが、そのうちの14人の顔を見てみます。

佐藤栄作→田中角栄→福田赳夫→大平正芳→中曽根康弘→宮沢喜一→橋本龍太郎→森喜朗→小泉純一郎→麻生太郎→鳩山由紀夫→菅直人→野田佳彦→安倍晋三の画像表示


さらにこの中から6人選んでみました。
スライド18

どなたかに聞いてみます。顔つきを見てどういう風に変化しているように印象を得たか、正解はありませんが聞いてみたいと思います。
会場から 重みというか、大人というか、何となく違うような気がします(笑)。

私もふてぶてしい顔つきから何となく薄っぺらな顔に変化しているような気がします。ただ者ではないという顔から、親しみやすい顔に変わってきたとでも言い換えられましょうか。
こういう人たちに日本任せていいのかなという不安が出てくるとでも言えましょうか。
一国のリーダーの変化がこうですから、ましてや「庶民においては」です。

少し学校教育の現場について拙い経験を交えて話してみます。
物事を単純化することを「合理化」と言いますが、コンピューター発達の影響か、単純化してはいけないものまで単純化する傾向が強くなってきたと思います。
3つの例を上げてみます。
(1) 大きな社会問題になっている(学校での)いじめ
まず、「いじめ」とは何かを押さえておきます。
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「強者であり、より多数である集団が、劣っていると思われる個人を攻撃にさらすということがゆるい状態で形成される」ということを「いじめ」と言います。
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学校内では有徴つまり、まわりと少し違う(運動神経、海外帰国、身体的、性格等)人間を見つけ出して、「私はそうではない」ということによって、自分が正常であることを間接的に強調し、納得、安心するという構図があります。
いじめとか排除という問題を考えるとき、最終的には現代の社会構造まで考えていかなければならないと思います。日本の社会の持っている競争原理から生じる緊張感、フラストレーション、イライラが、つねに弱いものに投影されていくのです。コントロールの技術を身につけていない子供たちのなかで、それがもろに出てきてしまうということがあるのかもしれません。日本の持っている競争原理のために、追いつけ追い越せで西欧化に成功したといわれますが、そこからもたらされる緊張感はものすごく大きいのです。
学校という空間も、時間をかけて考え直さなければならないのではないでしょうか。排他性、純粋性という名のもとに、教師にすべてを任せて、ほかの人間を入らせないようにする学校のしくみにも問題があるのではないか。
今の学校は人為的につくられたものであって、日本が、ヨーロッパに追いつけ追い越せで、集団で動くのに便利な人間をつくり出すためのメカニズムであったわけです。外ではテレビ、ゲーム、携帯などを通じて欲望を拡散している日常生活を営みながら、学校という空間では規格化された教育を受けている。どこでも似たようなコンクリートの学校に押し込められている。すべてが同じような空間のなかで、子供たちが、楽しみのために「ちがい」というものをほじくり出すところに向いていくのは、ある意味では自然な現象かも知れない。「いじめ」容認発言ではありませんが、「いじめ」というものが集団からなくなるということ自体、不可能なことではないかとさえ思います。
問題は、それが起きたときの対応ではないかと思います。

「いじめ」=良くない=先ずは謝罪という図式が出来ているような気がします。単純化です。
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なぜ、この子がいじめられるのかを深く考えないのです。被害者の親が言うこととは別に、第三者が分析しなければ
いつかまたその子はどこかで同じ目に会うかも知れないのに、ことが表面的に収まりさえすれば良いと考える。

ヴァルネラビリティ
(vulnerability)とは、攻撃を招きやすい性格という意味の他に、たとえば、自然科学、医学では、ある種の病気になりやすい体質の持ち主のことを、やはりヴァルネラブルというようです。
スティグマ(stigma)というのはキリスト教の用語で、本来、「神から受けたしるし」という意味です。神から選ばれた証拠の傷という意味です。
それを背負っている人間。そういう人をスティグマ、聖痕を刻まれた人間といって、本来はむしろ良い意味で使われていた言葉ですけれども、逆にそれがゆえに虐待される、そういったちがいを身に背負っている人間ということになるわけです。
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どちらも先ほどの有徴とほぼ同義語です。いじめを受けたら潜在化せずに早期に表面化・顕在化し話し合うことと、孟母三遷ということも親は考えるべきだと思います。
孟母三遷とは、孟子の母が、最初は墓地の近くにあった住居を、次に市場の近くに、さらに学校の近くにと3度うつしかえて、孟子の教育のためによい環境を得ようとはかった、という逸話です。
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少し逸れますが、スライドをいじめの定義に戻して下さい。
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いじめの原型を見たかったら、今のマスコミを見たらいいのではないかと思います。叩くことに決めたら、新聞、週刊誌、テレビ等々とことん叩きますから。ですが、本来叩くべきことは叩かないことが多いような気がします。

(2) モンスターペアレンツ
次に移ります。
「モンスターペアレンツ」とは「無理難題というほかはない苦情や抗議を執拗に繰り返す保護者や住民のこと」を言うようです。

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「ようです」とは無責任と言う方もいらっしゃると思いますが、少し待って下さい。
ある雑誌の今月号に、新聞で取り上げた「モンスターペアレンツ」の一端が紹介されています。

・子供が朝起きないので、先生が毎朝モーニングコールをしてほしい。
・遠足の弁当を作れないので、先生が作って持ってきてほしい。
・給食費はちゃんと払っているから、うちの子に「いただきます」と言わせるな。
・その日は仕事なので、運動会は別の日にしてほしい。
・うちの子は塾通いで疲れているので、授業中は寝かせておいて。
・「仕事を休んで行くからその分の給料を払え」と授業参観のたびに担任に要求する。
・学校で怪我をした子供の治療費を担任に請求する。
・自分の子供が怪我をして休むのだから、怪我をさせた子供も休ませろ。

ここにも単純化が見え隠れします。
それまでメディアは何か事件が起こるたびに「責任者、出ろ」と怒号する「被害者」にほぼ完全に同調してきました。クレーマーの増加はメディアのこの単純な「正義主義」と無関係ではないと思います。「正義は正しい」という単細胞的発想です。
それがいつからか、これまで教師を叩いてきた人々が今度は手のひらを返すように「モンスター親」を加害者として告発するようになりました。
「いささか常識を欠いた人間」はいつの時代でもいます。どこにでもいます。
「モンスター教師」って聞いたことがないのですが、「モンスター医師」っていますか?これもまず聞いたことがありません。

ここに極端なことをあげておいて普遍化するという危険性・作為性を感じます。
親は元来、子供を愛し、守るべき存在で、親がモンスターであって何が悪いという極論さえ私は思っています。
先日、早川先生と打ち合わせをさせていただいたとき、先生の母校の早稲田学報の中から資料をいただきました。作家・乙武洋匡(ひろただ)氏の文章が載っていて、先生は次の箇所を私に朗読して下さいました。紹介致します。

「僕が生まれたとき、母親への精神的なショックを考慮して、病院は一か月間会わせませんでした。それが初めての対面で、母は両手両足のない我が子を見て『かわいい』と言って抱きしめてくれた。両親は僕の障害というものにかかわらず、愛情いっぱいに育ててくれました。それが、出会う方が『それだけ重度の障害があるのに強くて明るいですね』と言ってくださる理由だと思うんです。小学校で学力をしっかりとつけることが大事なのはもちろんですが、自分は愛されている、大切にされていると自分を認める気持ちを育んでいくことが、長年生きていくうえで大きな支えになっていくのだと思います」

説明は要らないと思います。
以上、「モンスター親」について意見を述べました。

(3)学校教育を離れた単純化の話を一つします。「ロストジェネレーション」ということです。
「さまよう2000万人」という副題で、2007年に朝日新聞に出ました。
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現在の30歳から40歳くらいまでの世代を単純化した言葉です。
こう書いています。

今、25歳から35歳にあたる約2千万人は、日本がもっとも豊かな時代に生まれた。そして社会に出た時、戦後最長の経済停滞期だった。
「第2の敗戦」と呼ばれたバブル崩壊を少年期に迎え、「失われた10年」に大人になった若者たち。「ロストジェネレーション」。米国で第1次大戦後に青年期を迎え、既存の価値観を拒否した世代の呼び名に倣って、彼らをこう呼びたい。時代の波頭(はとう)に立ち、新しい生き方を求めて、さまよえる世代。日本社会は、彼らとともに生きていく。

11回にわたってキャンペーンを張った主な見出しをあげてみます。
転身世代、反乱世代、世直し世代、仮面世代、自分探し世代、消耗世代、起業世代、離婚世代、愛国世代、脱レール世代、まじめ世代、創造世代

このキャンペーンでは、「世代間格差」を社会矛盾の争点にしつらえて、「反撃のおそれのない」集団を標的、ターゲットに定めました。
その一つは「既得権益者」から「不労所得」を引き剥がせというような攻撃的言説、これは今も社会現象として続いています。
もう一つは公的な立場にある人間。例えば、教員、公務員罵倒等々です。
このキャンペーンは新聞側の予想を超えた影響を与えたと言われました。
何故か?大人もあまりものを考えず、そうかと思ってしまうからです。
単純化した節度のない言論によって、思いもかけない社会的影響が生じました。反省はしないでしょうがしてもらいたい。

(4) 最後に学校教育の現在とこれからについて
最も危惧されることは、これからますます学校教育は「商品化」されるのではないかということです。
先日、ボストン大学に入学した教え子が、日本の大学の現状を見ておこうといくつかの大学の授業風景を見て、非常に驚いていました。彼はアメリカ東部の高校を出ています。
おそらく国立、私立を問わず大学の授業が成り立たないという科目が多々あると思います。
うるさくて、しかも専門の授業が、です。
あるいは学力が低くて。
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各々の学校には、独自の創立時のミッションがあるはずです。それが今はよその学校がやっていることを負けじと取り入れる。結果、どこでも同じようなことを同じようにやる。特徴の喪失です。
それで「わが校の特徴は」などと話すこと自体、矛盾しています。「わが校は特徴がないのが特徴です」と言わなくてはいけない。
受験にあるいは就職に役立つ授業にしか関心を持たなくなります。
「きめ細かく指導」の延長線上にいつ、どんなことをどこまで進むかを提示します。シラバスです。これは内田樹氏に言わせると商品の「仕様書」と同じです。

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そして、「経費対効果」に該当する「教育効果」を求められ、学校は焦ります。
つぎ込んだ授業料相当の見返りが卒業時にあって然り、ということです。
学校も学生も、親も長いスパンで見る余裕がなくなっています。
その結果例えば、

・自信などないはずの若者に、ありもしない特技を羅列するように指導する教育業界。(自信がないのに如何にあるように見せるかを指導する。「自分にはリーダーシップがあります」とか恥ずかしげもなく平然と言う)
・奉仕活動を食い物にする塾・予備校の増加(AO入試の増加)。AO入試では奉仕活動の経験を聞いてくるところがよくあります。それに対して予備校が奉仕活動団体を作って数十万円の金でボランティア経験を作り上げるというようなことです。
・新設大学問題のときに、急に出てきた「教育を受ける権利」、一瞬、義務の間違いではないかと思ってしまいます。
・無駄なことは学ばない、学ばせまいとする風潮が強くなっている。

かつて未履修問題が生じたのは、「世界史」を必修科目にしたときからです。受験に敬遠される教科を必修にしたために、その時間を他の教科に充てるという計画的なことだったと思います。無駄なことかどうかは長いスパンで考えないといけないことなのに、いや、無駄なことを教えるのが高校までの学校教育の義務なのに、お客様の望む、つまり売れる商品を揃えようとしているとでも言えましょうか。
まずはこんなところでしょうか。

まだまだ話すことは多くありますが、いくつかは第二部の対談で掘り下げてみます。
取り敢えず、総合司会にマイクを戻します。
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プロフィール

marchan

Author:marchan
千葉 糺(ちばただす)
1947年生

東京理科大学大学院修了(数学・複素関数論専攻)
平成14年~18年度学習院中等科長・高等科長。任期満了の後、学習院高等科教諭(平成19年~24年度)を経て
学習院名誉教授。

(写真は雑誌『Shi-Ba』V.43
から。黒柴マーちゃん,
愛猫いっちゃんと)

国画会彫刻家 故・千野茂氏にデッサンを学び、その後テンペラ画を中心に個展、グループ展等開催。

時間を見つけて谷中「全生庵」坐禅会参加。日本ユダヤ学会会員。
2007年、イスラエルを中心に旅行。


最近の紀要論文
(1)『イエス・千日で世界を変えた男の受難』─「『事実』と『真実』というaporia」─
学習院高等科紀要第5号(学習院高等科 2007年)

(2)『イスラエル・灼熱の旅 リポート』─荒野の民から学ぶ─
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)

(3)『ナザレのイエスはキリストか』=二千年前の一ユダヤ人の死をめぐる過ぎ去ろうとしない「過去」=
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)
(4)『ユダヤ灼熱の旅リポート2』
─平和ボケの民と臨戦態勢の民─
学習院高等科紀要第7号(学習院高等科 2009年)
(5)『聖書への旅』─「生きること」の意味を探して≪マタイ受難曲を聴きながら≫─
学習院高等科紀要第8号(学習院高等科 2010年)
(6)「パリサイ派とは何か」─現代に問う
補遺 聖書を側面から理解するために
学習院高等科紀要第9号(学習院高等科 2011年)
(7)─横顔・一七世紀オランダ絵画・印象派─西洋絵画についての一考察
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(8)聖書が私に教えてくれること
─『イザヤ書』、コルベ神父、そして山本七平─
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(9)四十年を振り返る
学習院高等科紀要第11号(学習院高等科 2013年)
(10)『院歌の周辺』 ─安倍能成 信時潔 岩波茂雄 頭山満─(学習院高等科 2014年)
(11)『ヘブライ語で学ぶ創世記Ⅰ』「ノアの箱舟」
(12)『これからの教育はどうあるべきか 数学者・秋山 仁先生との対談』(学習院高等科 2015年)
─ 今まさに問われていること ─
(13)『国際化とInternationalizeの狭間で』
─その大いなる溝─(学習院高等科 2015年)
(14)『これからを生きるために』─未来志向の経営の理念─(学習院高等科 2016年)
(15)『地球儀を傍らに』─教職追放 地政学 国際法 民主主義─(学習院高等科 2016年)

(写真は死海での筆者,
シナイ山頂での夜明け)

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