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17世紀オランダ絵画を考える

17世紀オランダ絵画を考える

─オートクチュールからプレタポルテへ─



オランダ・ハーグと言うと…竹島の領有権を巡って、日本政府が裁判に訴えたICJ「国際司法裁判所」がある人口が50万弱の都市ですが、今回の配信内容は、竹島問題ではありません。

国際司法裁判所

IJC本部(ハーグ)

今回の配信では「印象派絵画をなぜ(日本人は)好むのか」について、述べるつもりでいました。ですが、印象派について調べれば調べるほど、印象派というものが生まれる200年以上前の17世紀オランダ絵画との関連、その影響が強くなっていったことが分かってきました。
現在、東京都美術館で「マウリッツハイス美術館展」というより、入場者の関心の多くはフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』に集中し、それにつられてにわかに17世紀オランダ絵画が人々の注目をあびるという状況になっています。そこで、今回の配信では、(私たち『糺の会』の啓蒙活動の一環として)その17世紀オランダ絵画について急遽、論じてみたいと思います。
ちなみに、マウリッツハイスというのは、「マウリッツ(という貴族)の館」という意味です。マウリッツハイス美術館は個人の邸宅(と言ってもお城ですが)を、王立美術館として17世紀のオランダ絵画を中心に所蔵している美術館です。

東京都美術館に先日、足を運んでみました。平日でしたがチケット購入に20分、入場に30分とほぼ1時間入館までに時間がかかりました。並んで入館を待っているご婦人たちの会話が聞こえてきました。「フェルメールは素晴らしいわよね。私、前にフェルメールの絵は見たことがあるんだけど、何の絵だったか忘れちゃった」。
横道に逸れました。

17世紀オランダ絵画以前

「17世紀にオランダで絵画が盛んに制作されるようになった」という具合にオランダ絵画を語るとき、必然的にそれ以前の絵画、芸術を取り巻く状況について話す必要があります。
オランダに限らず、ヨーロッパでは「絵画」というものは、教会か貴族が所蔵・展示するものであって、「一般人」が飾ったりするという習慣・意識はなかったということにまず、気をつけていただきたいと思います。さらに、絵画は「観る」ものではなく、「読む」ものだったということにも注意が必要です。それはどういうことか、から説明していきましょう。
ゴッホの『ひまわり』が何億という金額でオークションで競り落とされたとか、ミレーの『晩鐘」』についても同様な話題になったことがあります。17世紀以前のヨーロッパではそういうことは絶対になかったのです。もう熱くなってきました。少し、横道に逸れてクールダウンします。
ミレーの『晩鐘』について、『怖い絵』で有名になられた美術史家・中野京子氏は「ダリの言葉」と言いつつ、こう書いています。

ミレー

「女性は実はカマキリが仮面を被ったもので、男はその息子で、母親に射すくめられた姿なのである。」


これは一言で言えば「こじつけ」、「悪のり」だと私は思います。絵は作者の歴史があり、時代背景があります。それを抜きにして論じ、活字にすることは、低俗だと思うのです。皆さんはいかがでしょうか。

低俗な話はやめて、元に戻しましょう。
絵画には描かれている内容によって、序列がありました。まず頂点に立つのは、幅広い知識を要求され高貴と見なされた「歴史画」「宗教画」です。ギリシア神話や聖書や歴史上の有名な場面を描いたものです。そして次に格が高いとされたのが「肖像画」です。何かを成し遂げた人物の絵です。その下に順に「風俗画」「風景画」と続き、最下位が「静物画」となっていました。当然、作品の価格もこれに準じていました。ちなみに『ひまわり』は静物画で、『晩鐘』は風俗画の一つです。
では、なぜ「歴史画」が最上位なのでしょうか。
先ほど、絵画は「観る」ものではなく、「読む」ものだった、と書きました。「歴史画」に描かれている神話や聖書の場面については、「読む」ための知識・教養が必要だったのです。
この絵画は「読む」ものだったということ、そのためには教養が必要だったということが、大事なポイントになります。

「17世紀のわずか数十年間で飛躍的な発展を遂げ、世界的に高い評価を受ける『黄金時代』のオランダとフランドルの絵画の魅力を、巨匠たちの代表作で一望できる展覧会」

と主催者側は述べています。事実ではありますが、これでは言葉が足りないのです。
絵画は、教会や王侯貴族のものでしたから、市場で、すなわち「画商」を介して庶民が手に入れるなどというものではありませんでした。その画商が生まれたのが、17世紀オランダなのです。

17世紀オランダ
フランスで印象派が生まれる250年前に、オランダでは画商が生まれていました。つまり、美術の流通マーケットが始まっていたということです。
いつか印象派について述べる機会に詳しくは触れますが、画家は店頭で作品を販売することを恥としてきたのです。というより、貸し画廊で個展を開き、自分の作品を「個性」や「創造性の自由」といった言葉で正当化できる時代ではなかったのです。多くの「画家」は芸術家というよりは「職人」だったのです。親方に見習いのためのお金を弟子が払って、技術を伝授してもらったのです(日本の徒弟制度とは逆です)。そして絵の価格は職人が皆、加入した、同業者組合である聖ルカ・アカデミーが決めていました。画家によって価格が違うという発想がそれまではなかったのです。
同じ17世紀、ほかの国々、例えばフランスやイタリア、お隣のフランドルでは絵は、ほとんどは注文制でした(注文主は教会や王侯貴族)。画家に「こういう絵を描いてほしい」と注文したり、肖像画などの場合は画家を屋敷に呼び寄せてポーズをとり、その後はアトリエで仕上げさせる、というのが一般的でした。
画廊に行ったり、画商を通して購入するという発想も、したがって流通もなかったということです。
美術史上初の個展は1855年、パリの第1回万国博覧会に作品の出展を認められなかったギュスターヴ・クールベが、万博に対抗して開催したといわれています(これは印象派について書くときに触れる内容です)。

クールベ
『オルナンの埋葬』(クールベ)


では、何故、美術商から買うというスタイルが17世紀初めのオランダで生まれましたのでしょうか。
17世紀のオランダは経済的繁栄を極めていました。東インド会社の交易によって、さまざまな国から珍しい品々が集まり、人々の収集熱は最高潮に達します。絵画の収集も例外ではありませんでした。
当時のオランダを連想するには、1980年代後半の日本のバブル絶頂期を思い出すとわかりやすいでしょう。
あの時代、日本でも絵画の収集熱や投機熱が高まりました。ゴッホやルノワールと買いあさる企業もあれば、堅実な生活をしていた市井の人々までが、価値が上がるはずだと、こぞって絵画を購入していました。

オートクチュールかプレタポルテか。
日本のバブル期の現象、まさにこれと同じことが17世紀のオランダで起こっていました。
オランダではチューリップの球根さえも投機対象になり、1637年、有名なチューリップバブルが起こっています。その絵画市場の中心となったのが上層市民であり、富裕層です。ですが、教会や宮殿に飾るような絵画は物理的に無理です。絵のサイズも決まってきます。また、彼ら自身、歴史画にさほど興味をもっていませんでしたし、理解するための知識・教養は持ち合わせておらず、神話に精通している人もそう多くはいませんでした。
その彼らが求めた絵画は、親しみやすいジャンル、静物画や風景画、そして日常のワンシーンを描いた風俗画でした。
「現実の"人生の喜び"を描いた絵画」と言えば聞こえは良いのですが、難しい絵には関心がなかったのです。宗教画や歴史画に比べて格が低いと見なされていて、サイズも小さめのものが人気を浴びていきます。そういう絵画が「店頭」に並んだのです!
美術史家の木村泰司氏の「ほかの国の人気画家の作品を注文制のオートクチュール(一点もの)だとすると、オランダでは絵画のプレタポルテ(既製服)文化が誕生した」という表現が、的確に表していると思います。
絵画を自ら売ることを恥とすることとは正反対の、とにかく売り込もうという空気が蔓延したのです。
当時の代表的な画家ヤン・ステーンの絵画を数点観てみましょう。
初めは『恋煩い』
恋煩い

今回の展覧会の図録ではこう説明しています。

元気を失った娘、これを診察に来た芝居にしか出てこないような古めかしいいでたちの医者、もうこれだけで、当時の鑑賞者は、その怪しさを笑ったのだろう。毛皮つきの上質のヴェルヴェットのジャケットを着た娘は、脈を取られているが、当時流行した肌の色を白く見せる付けぼくろ(ムーヘmouche)が、病の深刻さを消し去っている。


次に『牡蠣を食べる娘』
牡蠣を食べる娘

この目つき、どう思われますか。
もう1点、図録では『親に倣って子も歌う』(原題は『そう親が笛を吹けば、そう子供も歌う』)
親に倣って子も歌う

この作品は、当時の絵画の特徴を顕著にあらわしていると思います。
生活のワンシーンを切り取ってきたものをテーマにしています。
今回の展覧会で、私がとても興味深かったのはフランス・ハルスの『笑う少年』という小品でした。

笑う少年

『親に倣って子も歌う』と、この『笑う少年』に共通していること、それは「笑いを表現している」ということです。

ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』の中で修道僧たちが「イエスは笑ったか」と論じ合っています。
中世のキリスト教社会において「キリストは一度も笑わなかった」という伝承が広まっており、笑うという行為自体が否定的な意味合いを含んでいました。
エラスムスは、『子供の礼儀作法についての覚書』において、「歯をむき出しにして笑うことは避けるべき表情である」と説きました。『モナ・リザ』の微笑み(微笑んでいると一般に言われています)と、ステーンやハルスの笑いを比べると、当時のオランダ絵画の特徴が理解できるのではないでしょうか。

モナリザ2

親に倣って2
(『親に倣って子も歌う』部分)

「オートクチュールかプレタポルテか」あるいは「クラシックかポップスか」とでも言えましょうか。
絵画の価格もオールド・マスターでないものは熾烈な競争でした。売るためにはこれでもか、これでもかと技を競ったのです。人物画専門、静物画専門、風景画専門等々細分化していきます。服の襞を表すのが上手な人、羽毛を如何にもふわふわした感じで表現できる人、花を描くのが得意な人は、季節がずれていようと盛りだくさんの花々を同時に描きました。17世紀のオランダ絵画は現実のありのままを描いたような印象を与えるにしても、実際にはそのようなことはしていないのです。屋外で描くことはありませんでした(屋外で描くようになるのは、印象派の前身とも言える「バルビゾン派」が出現してからです)。マウリッツハイス美術館の所蔵する中で、最大の規模を誇るというパウルス・ポッテルの『雄牛』について図録にはこう書かれています。

「専門家は牛の角が2歳のものでありながら、歯は4歳のものと見抜いた。そればかりではない。肩は成牛のものでありながら、後足と聲部は若い牛のものだという。ポッテルはこの牛を描くとき、様々な年齢の牛の写生を参考にしたのだろう。習作のなかでもとくに出来のよいのを選び、ポッテルは牛をできるだけ説得力のあるものにしようと努めた。小さすぎても大きすぎてもいけない、たくましすぎてもぽっちゃりしすぎてもいけない。つまるところ、実在するどの牛にも優る牛がこうしてできあがった。」

牛

オランダの画家は現実を自らの必要に応じ、また顧客の求めに応じて脚色し、模倣を実在する手本以上に美しく、あるいは興味深いものにしたのです。

フェルメールについて
最後に、話題のヤン・フェルメールについて論じておきましょう。もうお察しの通り、百花(ひゃっか)繚乱(りょうらん)、玉石混淆、たくさんの静物画や風景画、風俗画が生産された時代、風俗画つまり市井の人々の日常生活のワンシーンを描いた(英語で「ジャンル画」と呼ばれる)を得意としたのが、フェルメールでした。
フェルメール研究の第一人者・小林頼子を囲んでのトークセッションに参加したりして、この無名のまま多くの妻子(子ども11人)を残したまま43歳で亡くなった画家については大いに関心を持っています。最晩年はまったく売れない画家で、彼の作品と分かっているのは30数点です。他はサインを書き換えたりして転売されたはずです。
青い耳飾り

フェルメールは、主に女性たちの日々の生活を静かに上品に描きました。
『真珠の耳飾りの少女』はトローニー(オランダ語で「顔」の意)と呼ばれる分野の絵です。
図録には、「2ギルダーに落札者手数料30セントを加えた小額で作品を入手した。」と書かれています。
「当時の熟練した職工の週給は8~16ギルダー、漁師の1週間のかせぎが6~8ギルダー」とも書かれていて、「署名のある絵画の平均価格は約16ギルダー、無署名のものは7ギルダーだった」ともあります。当時のこの絵に対する評価がお分かりと思います。

フェルメールの作品には「品」がありますが、ヤン・ステーンの絵は、「下品」な絵だと私は思います。
ただ、ヤン・ステーンは顧客の嗜好に合わせて描いただけなのですが。

よくオランダ絵画には手紙を読む場面を描いた風俗画があります。フェルメールも描いています。これは、当時のオランダが、それくらい識字率が高かったということを表しているということです。
手紙

最後に
西洋美術は長い間、一定のメッセージを伝えるための手段であって、現代のように感覚的に自由気ままに美術品を楽しむようになったのは、18世紀以降です。
17世紀のオランダの風俗画も、当然、連綿と続いた美術の歴史のなかで発生し発達したものです。
今回では触れませんでしたが、17世紀オランダ絵画が生まれた底流にはカトリックとプロテスタントという大きな問題もあります。
『真珠の耳飾りの少女』のウルトラマリン・ブルーが綺麗だとか、真珠が本物ではなく、ヴェネチア産のガラス玉ではないかと論ずることより、これらの絵画が生まれた時代、歴史がつい最近の日本のバブル期と同型だということが大事なように私には思われます。
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プロフィール

marchan

Author:marchan
千葉 糺(ちばただす)
1947年生

東京理科大学大学院修了(数学・複素関数論専攻)
平成14年~18年度学習院中等科長・高等科長。任期満了の後、学習院高等科教諭(平成19年~24年度)を経て
学習院名誉教授。

(写真は雑誌『Shi-Ba』V.43
から。黒柴マーちゃん,
愛猫いっちゃんと)

国画会彫刻家 故・千野茂氏にデッサンを学び、その後テンペラ画を中心に個展、グループ展等開催。

時間を見つけて谷中「全生庵」坐禅会参加。日本ユダヤ学会会員。
2007年、イスラエルを中心に旅行。


最近の紀要論文
(1)『イエス・千日で世界を変えた男の受難』─「『事実』と『真実』というaporia」─
学習院高等科紀要第5号(学習院高等科 2007年)

(2)『イスラエル・灼熱の旅 リポート』─荒野の民から学ぶ─
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)

(3)『ナザレのイエスはキリストか』=二千年前の一ユダヤ人の死をめぐる過ぎ去ろうとしない「過去」=
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)
(4)『ユダヤ灼熱の旅リポート2』
─平和ボケの民と臨戦態勢の民─
学習院高等科紀要第7号(学習院高等科 2009年)
(5)『聖書への旅』─「生きること」の意味を探して≪マタイ受難曲を聴きながら≫─
学習院高等科紀要第8号(学習院高等科 2010年)
(6)「パリサイ派とは何か」─現代に問う
補遺 聖書を側面から理解するために
学習院高等科紀要第9号(学習院高等科 2011年)
(7)─横顔・一七世紀オランダ絵画・印象派─西洋絵画についての一考察
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(8)聖書が私に教えてくれること
─『イザヤ書』、コルベ神父、そして山本七平─
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(9)四十年を振り返る
学習院高等科紀要第11号(学習院高等科 2013年)
(10)『院歌の周辺』 ─安倍能成 信時潔 岩波茂雄 頭山満─(学習院高等科 2014年)
(11)『ヘブライ語で学ぶ創世記Ⅰ』「ノアの箱舟」
(12)『これからの教育はどうあるべきか 数学者・秋山 仁先生との対談』(学習院高等科 2015年)
─ 今まさに問われていること ─
(13)『国際化とInternationalizeの狭間で』
─その大いなる溝─(学習院高等科 2015年)
(14)『これからを生きるために』─未来志向の経営の理念─(学習院高等科 2016年)
(15)『地球儀を傍らに』─教職追放 地政学 国際法 民主主義─(学習院高等科 2016年)

(写真は死海での筆者,
シナイ山頂での夜明け)

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