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気になること─最終回

一体、何が起きたのか?
訴え続けるつぶらな目、目、目

はじめに
東日本大震災に関する気になることとして、2回にわたって「荒城の月」「大川小学校」について考えを述べてきたが、今回の配信が、気になることについて述べる最後になる。
これから書く内容は、論理性、客観性を欠いた感情的、感傷的な内容になるであろうことを予めお断りしておきたい(副題からしてもうそうなっている)。
ご存知の方も多いと思うが、わが家では犬と猫を飼っている。「マー」という名の犬は白内障で目が見えない。

マー01

「いっちゃん」と呼ばれる猫は、野良猫の私たちが「アイオミちゃん」と呼んだ母猫が置いていった猫で、今ではすっかり飼い猫になって堂々と家の中を闊歩している。

彼らは無条件に可愛い。理屈などない。人間が人を好きになる(あるいは嫌いになる)理由以上に、理屈抜きである。
犬は人(飼い主)を裏切らない、絶対に。
マーの見えないつぶらな瞳で見上げられたとき、どうしようもなくなる。動物を飼っている人は皆、共通な思いを共有されていると思う。ここで我が家の動物の自慢話を展開するつもりはない。

写真集『のこされた動物たち』との出会い
昨年7月、書店で本を購入して帰りかけたとき、ふと隅に平積みに置かれている本に目が行った。
瞬間、表紙カバーの犬の目と私の目が合ってしまった。じっとこちらを見ている写真だ。小さなフォト・エッセイらしい。
もう駄目だ。そのまま立ち去ることは出来ない。

カバー01

『のこされた動物たち』という題名から内容はすぐ分かった。副題は「福島第一原発20キロ圏内の記録」とある。読むのが辛い内容だということもすぐ感じた。著者は太田康介氏という写真家。
これまで、大石芳野氏のフォト・エッセイは多く読んできているが、太田康介氏は未知の方である。

福島第一原発事故で、20キロ圏内にそのまま「のこされた動物」たちの写真を中心に、その説明が載せられている。飾り気のない文体が余計に読む人間の心に突き刺さってくる。
カメラを持って20キロ圏内を車で移動し、そこに今いる動物たちの姿を撮る。犬、猫、牛、馬、鶏、ダチョウ等々を「黙々と」というよりは「呻きながら撮る」という表現が、より正確であろう。読んでいくと幸い同じ志の方々が数名いて、お互い励ましあいながら移動していることが分かった。

「想定外」の現在、感傷的に走る場合ではない。動物を置き去りにしなくてはいけない無念さは分かるが、ここは冷静になって、まずは被害にあった人々、仮設住宅に住まわれておられる人々を最優先に考えることが最重要だ。人間か動物かの二者択一を迫られている緊急時なのだ。動物を切り捨てることはやむを得ない処置なのだ。
この主張に誰も反論はしないだろう。

だがそこに「何か出来ないか」と考え、違反と知りつつも20キロ圏内に「侵入」し、手弁当で車で少しでも多くの動物たちを捕獲し、里親を探し、あるいは餌を置いて歩く人々を理解することはできるであろう。
テレビ、新聞等で口角泡を飛ばして「正論」をぶち上げる人間とは対照的に、ときには匿名の人間から非難されようと黙々と実行させている人々がいることを。

内容紹介
『のこされた動物たち』の中から少し紹介しよう(詳しくは一度、書店で手にとってご覧いただきたい)。

dog01

私は、ごめんよ、ごめんよ、と謝りながら写真を撮りました。
私にできることは、写真を撮り、今起こっている現実を多くの人に知ってもらうこと。
それしかできないのです。やがて怒りが沸いてきて、チクショー、チクショーと呻(うめ)きながらシャッターを切りました。
その怒りは、私を含めた人間に対してのものです。


これが最も正確に著者・太田氏の気持ちをあらわしている箇所であろう。

私は無力です。チクショー、チクショー。畜生は、私たち人間の方だ。


という呻き声が随所から読み取れる。

犬の忠実さを朴訥に語る箇所も突き刺さってくる。
2-1

持参したドッグフードを差し出すと、食べるには食べますが、人恋しいのでしょう。
それよりもスキンシップを求めてくるのです。
「ほらほら、こっちはいいから早くごはんをお食べ」
そう言って器を差し出しても、人間の方がいいのです。嬉しそうに耳をぺたんと寝かせて、なでてなでて、と目で訴えかけてきます。この犬だけではありませんでした。取り残された犬たちは、まず人間の方に近づいて来るのです。ついこの間まで、どこかの家族の一員だった犬たち。食事を終えても、ずっと車のまわりから離れなくて。胸がつまって、どうしていいのかわからなくて。ただ、ごめんよ、ごめんよ、と謝るしかありませんでした。


死んでしまった動物を語り、そして撮った箇所は読むのがほんとうに辛い。

このお宅には、餌も水も、彼の食べる物は何も残っていませんでした。リードは外されているのだから、どこかへ行こうと思えば行ける状態なのに。それでも彼はこの家で、じっと飼い主さんが帰って来るのを待っているのです。

ごめんよ。
一所懸命生き延びたのに。
助けてやることができなかった。
本当に、ごめんよ。

死に方で一番苦しいといわれる餓死。彼らは、訳もわからず、放棄された牛舎で糞尿にまみれ、仲間の死体を見ながら死んでいくのです。ここが地獄でなくて、なんなのでしょうか。
せめて、せめて安楽死を彼らに与えてやってほしい。自分勝手な考え方ですが、このときも、今も、そう思っています。


次の文章も心をえぐった。

なぜこんなことになったのかもわからないまま、彼らは身を寄せ合い死んでいました。

彼の定位置はいつもこの場所。来る日も来る日もここでご主人を待っていたのです。


太田氏が「取り残された動物たちは、きっと何が起こったのか、わけがわからないでしょう」と言うように、ある日を境に突然見捨てられ、餌をもらえず餓死する。そんな異常な事態がこの日本で起こったという現実。

吠える

そして何が起きたか分からないまま、待ち続けている動物たちがいるのである。

みんな、よく頑張って生きていてくれたね。生きていてくれて、ありがとう。
君たちが生きて待ってくれているから、私たちは頑張れるんだよ。
生きてさえいてくれれば。生きてさえいてくれたら。


我が家のマーは黒柴である。であるが故に、次の文は胸が張り裂けそうになる。

あるとき、庭に繋がれたまま息絶えている柴犬がいました。
どうしようもない現実。
一緒に行動していたボランティアさんが、その柴犬にそっとタオルをかけてあげました。
柴犬の体をやさしくポンポンと叩きながら、
「天国で、いっぱい走るんだよ」
たしかそのようなことをおっしゃっていたように思います。
そして敷地内にあった花を一輪摘んで、柴犬に供えました。
柴犬は、楽しかったときの思い出を持って、天国に行ったんだと思いたいです。


私があれこれ説明する必要は何もない。写真の動物たちの目が、つぶらな瞳が事実を、いや真実を語っている。

続編 『待ちつづける動物たち』
その後、『待ちつづける動物たち』という続編が今春3月出版された。冒頭でこう語っている。

2-2


実は、あまり変わっていないのです。たしかに、ボランティアの保護活動によって、飼い主の元に帰ることができたり、新たな引き取り先が見つかった犬や猫はいます。しかしそのいっぽうで、未だ警戒区域に取りのこされたまま、食べるものもままならず必死に命を繋いでいる動物の数は今も計り知れないのです。むしろ、月日が経った分、彼らの苦悩は深刻になっているといえます。


悲惨さは以前より深刻になっているのである。

川内村にある、誰もいない牛舎。一面に撒かれている消石灰。ここにも悲しい運命を迎えた牛たちがいたことがわかる。レバーを鼻先で押すと水が出る仕組みだった給水器は、電気が途絶えたとたんに作動しなくなったに違いない。なぜ水が出ないのか、それもわからず、きっと何度何度も押しながら彼らは死んでいったのだろう。

太田氏は最後に必死に訴えている。

猫1

震災から何ヶ月、何年と人間は区切りをつけようとしますが、のこされた動物たちにとっては一日一日が生きのこるための戦いです。
私は今の日本で動物たちが何の手当ても受けることなく、餓死していっているという現実が信じられません。そして、その動物たちを助けようとしている人たちが、思うように活動さ せてもらえないという事態も信じられないと思っています。
のこされた犬や猫が、今なお生きていられるのは何故なのか。それはボランティアの方々が早い時期から違法承知で定期的に警戒区域に入り、保護活動と餌置きをつづけているからです。行政による保護活動は、ほとんどといってよいほど機能していません。
国や行政に動物を保護する気があるのなら、新たなルールをつくり、保護目的のボランティアが安全に警戒区域に活動できるように公的な許可を出してくれることを切に願います。
ペットにも当然生きる権利があるし、動物愛護法で守られているのです。家畜にしても、畜主にとっては財産であり、生きる権利もあります。
私はこれからも、できるかぎり活動を続けていきます。そして、警戒区域の現状を広く紹介することで、ひとりでも多くの人たちが、福島ののこされた動物たちのために動いてくれることを、心から願っています。


これを感傷的だと批判する人も多くいるだろう。冷静な判断がここは必要だと。だが、私はそういう人とは与したいとは思わない。

「福島原発20キロ圏内 犬・猫救出プロジェクト」
世の中は狭い。このボランティアのチームリーダー大網直子氏は、私の知人の親戚だったのである。彼女は『ゴン太ごめんね、もう大丈夫だよ!』という本の中で語っている。

ゴン太01

足がない犬のことをブログに載せたときにも、「あの犬をなぜ、いますぐ連れて来ない」と怒った人がいました。思わず、ツイッターで「一番連れて来たいのは私たちです。連れて帰れる犬は全部連れて来ています。そうじゃないケースは、連れて来ないんじゃなく、来られないんです」と、初めて書き込んでしまいました。まあ、いろいろなことを言う人はいる。それは受け流さないといけないのですが、でもそれより、本当に数多くの人から「ありがとう」と感謝されています。
私と同じ気持ちでも、どうしたらいいのかわからない人、動きたいけど動けない人がいて、激励の言葉を伝えてくれる。そのことは、本当に嬉しく思っています。

リーダー
保護した犬を思わず抱きしめるリーダー

20キロ圏内で多くの犬や猫が生きて来れたのは、これまで餌を撒くボランティアがいたからです。でも、とうとう立ち入禁止になってしまった。一方で、どんな状況でも、生命力のある犬は生き残るでしょう。ただし、その犬はもう、完全に野生の犬。
人間を噛んではいけないという遠慮はまったくありません。伝染病など病気の問題も遅からず出てくるかもしれません。20キロ圏内を、果たしてそんな状態にしていいのか。政治家や行政にはそう問いかけてみたいです。そうなってから人が飼おうとしたって、もうオオカミを飼いならすくらい難しいのです。
私たちが今後、どのように活動をしていけるか、はっきりした見通しはまだ、何もないのですが、とりあえず救える命がある限り、出来るだけのことを頑張ろうと思っています。あそこに取り残された動物のほとんどは、人間の都合で飼育されていたのですから、最期まで人間が面倒をみなければならないのです。

この彼女は、今年初めには30数匹の猫と犬を御自宅で、ボランティアの方々と一緒に世話をしていることを間接的に知った。
大網氏は行政が何もしていないという主旨のことを書かれているが、果たしてそうなのか、仕事をしているのではないか、と私は思ってしまう。のこされた動物たちが死に絶えるのを待っているという仕事を。これは偏見だろうか。

大衆に迎合するリーダーたち
「脱原発」「反原発」という言葉を、選挙の票ほしさに政治家が垂れ流している。この言葉を吐くことが、当選するための必要条件なのだろう。ほとんどの今の日本の政治家・リーダーに「哲学」などない。
「脱原発」というのは、血の滲むような覚悟が必要なことである。
であるが故に、「脱原発」を高らかに唱えていた某市長が、「建前だけでは駄目だ。脱原発という主張を翻す」と表明した。この事実を「報道」しただけで、「哲学」がないと批判したメディアがあっただろうか。
所詮は茶の間のお笑い番組的なところから生まれた「政治家」、哲学などあるはずがない。
いや、「哲学」などと言わずに「覚悟」と言ったほうがいいだろう。腹を据えるということである。
「リーダー」と称される人々の多くが、「大衆」の顔色をうかがうという、唾棄すべき姿が蠢いている。
リーダーが、「脱原発」から180°「変身」して原発依存を表明しても、支持者にこだわりや批判などほとんどない。まさにオルテガが言った「大衆」政治である。

組織が内部から音を出して崩れようとしている今、黙々と動物たちに心を寄せ、危険・違反を承知で自らの時間と金を費やして行動している人々。原発事故現場に事故後すぐに行った当時の菅首相をメディアが批難した。そういうメディアの人々は、どれだけ「報道魂」を発揮したのか極めて疑わしい。
現場に駆け付けたというその行為にのみ限定してではあるが、当時の菅首相は評価されていいのではないか。

動物たちのために黙々と行動されている方々に、心から敬意を表したい。

救出活動をされている団体はいくつかあると思われる。私が読んだ本の中で紹介されている団体は
「福島原発20キロ圏内 犬・猫救出プロジェクト」で、そのブログのアドレスは
http://dogcatrescueproject.blogspot.jp/
である。

最後に通称「動物愛護法」の総則の一部を載せておきたい。

動物の愛護及び管理に関する法律

第一章 総則
(目的)
第一条  この法律は、動物の虐待の防止、動物の適正な取扱いその他動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害を防止することを目的とする。
(基本原則)
第二条  動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。
(普及啓発)
第三条  国及び地方公共団体は、動物の愛護と適正な飼養に関し、前条の趣旨にのっとり、相互に連携を図りつつ、学校、地域、家庭等における教育活動、広報活動等を通じて普及啓発を図るように努めなければならない。
(以下略)


終わりに一言
やはり些か感情的な内容になってしまいました。読者の皆様方の、率直なご意見をお聞かせいただければ幸いです。




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プロフィール

marchan

Author:marchan
千葉 糺(ちばただす)
1947年生

東京理科大学大学院修了(数学・複素関数論専攻)
平成14年~18年度学習院中等科長・高等科長。任期満了の後、学習院高等科教諭(平成19年~24年度)を経て
学習院名誉教授。

(写真は雑誌『Shi-Ba』V.43
から。黒柴マーちゃん,
愛猫いっちゃんと)

国画会彫刻家 故・千野茂氏にデッサンを学び、その後テンペラ画を中心に個展、グループ展等開催。

時間を見つけて谷中「全生庵」坐禅会参加。日本ユダヤ学会会員。
2007年、イスラエルを中心に旅行。


最近の紀要論文
(1)『イエス・千日で世界を変えた男の受難』─「『事実』と『真実』というaporia」─
学習院高等科紀要第5号(学習院高等科 2007年)

(2)『イスラエル・灼熱の旅 リポート』─荒野の民から学ぶ─
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)

(3)『ナザレのイエスはキリストか』=二千年前の一ユダヤ人の死をめぐる過ぎ去ろうとしない「過去」=
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)
(4)『ユダヤ灼熱の旅リポート2』
─平和ボケの民と臨戦態勢の民─
学習院高等科紀要第7号(学習院高等科 2009年)
(5)『聖書への旅』─「生きること」の意味を探して≪マタイ受難曲を聴きながら≫─
学習院高等科紀要第8号(学習院高等科 2010年)
(6)「パリサイ派とは何か」─現代に問う
補遺 聖書を側面から理解するために
学習院高等科紀要第9号(学習院高等科 2011年)
(7)─横顔・一七世紀オランダ絵画・印象派─西洋絵画についての一考察
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(8)聖書が私に教えてくれること
─『イザヤ書』、コルベ神父、そして山本七平─
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(9)四十年を振り返る
学習院高等科紀要第11号(学習院高等科 2013年)
(10)『院歌の周辺』 ─安倍能成 信時潔 岩波茂雄 頭山満─(学習院高等科 2014年)
(11)『ヘブライ語で学ぶ創世記Ⅰ』「ノアの箱舟」
(12)『これからの教育はどうあるべきか 数学者・秋山 仁先生との対談』(学習院高等科 2015年)
─ 今まさに問われていること ─
(13)『国際化とInternationalizeの狭間で』
─その大いなる溝─(学習院高等科 2015年)
(14)『これからを生きるために』─未来志向の経営の理念─(学習院高等科 2016年)
(15)『地球儀を傍らに』─教職追放 地政学 国際法 民主主義─(学習院高等科 2016年)

(写真は死海での筆者,
シナイ山頂での夜明け)

「現代社会の問題を糺し未来の扉を開く会」

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