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「月の砂漠」を考える

「月の砂漠」を考える

「死」にまつわる「詩」について


1 はじめに
以前、シンポジウムで「老化」とは人に依存する気持ち、他人にしてもらう気持ちが強くなってくることではないかと話したことがある。若年でも、あれこれ誰かにやってもらうという依存心が強い人間が、数多く生まれて来ている。若年性老化現象が増え続けていることは、社会的な大きな危機ではないだろうか。他人に依存する現象が拡大して遂には社会への依存、言い換えると悪いのは社会が悪いからだ、弱者を救うのが国の義務だと叫ぶ声も増幅しているように思われてならない。2月13日の朝日新聞の投書欄「声」に50歳高校教員という人が、「国歌斉唱に見合う国だろうか」という題で

「かつて米国のケネディ大統領は「国のために自分が何をできるかを問うべきだ」と国民に訴えた。確かに、国民には果たすべき義務があり、社会全体のために尽くすことも必要だ。しかし、その前提には義務や奉仕も惜しくない国家であることが必要だ。今の日本はそんな国だろうか。国家目標も将来の展望もなく漂流する政治。グローバル化と株主の利益ばかり優先し、雇用確保や社会への利益還元を怠る企業。それでも多くの庶民は義務を果たし、社会生活を営んでいる。その努力に報いる国ならば、その国歌も強制など必要とせずに歌われるはずだ。斉唱に応じない教師を処分する通達が必要なのは、国家が国民の支持を得ていない証しと、指導者は認識してほしい。」


と書いたものが載せられていた。朝日新聞はどういうつもりでこの投書を掲載したのか。この人間から少なからず影響を受ける生徒がいることを思うと、気持ちが暗くなってしまう。国を思う気持ち、愛国心なしでは生きてはいけない。わが国では愛国心という言葉が異常に解釈されるが、愛校心、愛社精神、郷土愛等々と同様、思想の統制でも、危険思想でもない。人は国に所属しないでは生きていけないことをこの教員は無視あるいは否定している。繰り返しになるが、「もらう」ことを要求するようになった人を、何歳からでも老人と思うことにしている、と言い切った人がいるとだけ言っておいて、軌道修正したい。

逆に、高齢であっても自分で懸命に生きている方が世の中には多くいる。自分に出来ることを慎ましく、一生懸命になさっている方々がたくさんいる。私が敬服しているとてもおしゃれで素敵なご高齢の女性もその一人である。彼女は毎年、アットホームな雰囲気のおしゃべりとピアノのコンサートを開いて、人々の心を和ませている。「老化」とは対極的に自ら人々に何を与えることが出来るかを考え、実践している。頭が下がる。その彼女が今回選んだ曲の中に童謡「月の砂漠」がある。「出会いと別れ」というテーマに沿った選曲であるが、何故かとても気になった。以下、童謡「月の砂漠」を中心に「死」と「詩」について考えてみたい。

2 童謡「月の砂漠」
『日本童謡事典』(上笙一郎編 東京堂出版)から「月の砂漠」について抜粋・引用してみる(当初は「砂漠」ではなく「沙漠」だった)。なお、上笙一郎氏は「児童文化研究家」という方である。

月の沙漠
つきのさばく
童謡=少女歌曲 加藤まさを作詩・佐々木すぐる作曲

① 月の沙漠を、はるばると
旅の駱駝(らくだ)がゆきました。
② 金と銀との鞍置いて、
二つならんでゆきました。    
沙漠01
③ 金の鞍には銀の甕(かめ)、
銀の鞍には金の甕。
④ 二つの甕は、それぞれに
紐(ひも)で結んでありました。
⑤ さきの鞍には王子様、
あとの鞍にはお姫様。
⑥ 乗った二人(ふたり)は、おそろいの
白い上着(うわぎ)を着てました。
⑦ 曠(ひろ)い沙漠をひとすじに、
二人はどこへゆくのでしょう。
⑧ 朧(おぼろ)にけぶる月の夜を、
対(つい)の賂駝はとぼとぼと。
⑨ 沙丘を越えて行きました。
黙って越えて行きました。

[歴史] 詩章は「少年倶楽部」の対(つい)誌「少女倶楽部」の一九二三〈大12〉年三月号に発表され、翌年、加藤まさをの四冊目の詩画集である『人形の墓』(内田老鶴圃)の巻頭に詩景を描いた色刷り口絵付きで収められた。戦後期になってから、この歌の人気上昇とともに詩作者・加藤まさをは「月の沙漠」の絵を幾度も描い(た)。


とある(本ブログでその絵を2点紹介している)。さらに

一九三二〈昭7〉年に歌手=柳井はるみ(松島詩子(うたこ))の歌唱でレコードに吹き込まれ、ラジオでもうたわれて全国に知られるようになったが、日中戦争・太平洋戦争期には、軟弱で戦意を沮喪(そそう) させる歌として禁止のあつかい。敗戦直後期、信ずる国家に裏切られた精神的虚脱状態のなかで、その虚脱を甘やかに慰めてくれる歌として、若い女性および少女たちより好かれ愛唱された。その後も広くうたわれ、一九九七〈平9〉年には郵政省の切手「わたしの愛唱歌シリーズ」のテーマに取り上げられ、八○円切手として発行されるまでになった。


とある。また、内容として、

[内容] 詩章に登場しているのは、「沙漠」「旅の駱駝」「王子様」「お姫様」「白い上着」「沙丘」といったふうに日本には無い風景と事物であって、日本人からすればエキゾチシズムをおぼえずにはいられない。「金と銀との鞍」や「金の甕」「銀の甕」は日本でも造れるだろうが、しかし生活感覚としてはやはり異国を印象させる。そして時代は特定されておらず、それ故、昔話の一場面のような詩として、読む者の心に残ることとなるのである。主人公はもちろん「王子様」と「お姫様」だが、王・王妃を約束されているとはいえ少年・少女であるふたりは、無垢(むく)であるとともに無力の象徴でもある「白い上着」を着せられており、その「旅」の行先もあきらかでなく、終局、運命委せに流れて行く情調にあると言わざるを得ない。付けられた曲はというと、ニ短調でメロディーを主軸とした曲調で、二行ずつで九連ある詩を二連ずつにまとめて同一の旋律とし、最後の一連をコーダ(末尾節)として少しの変化を与えたもの。しかし、単調とも聞こえるメロディーは詩句の静的な映像・雰囲気にうまくマッチして、嫋嫋(じょうじょう) たる歌曲、華麗哀傷的にしてしかも甘やかな歌曲を醸成する結果となった。幼児・児童よりも、心身発達のアンバランス期にあり、哀傷的にして且つ甘美な情調に惹かれる思春期の少女たちから大きく支持された由縁である。


と説明されている。詩を作った加藤まさをについては、

(加藤)まさをは「月の沙漠」(『加藤まさを叙情詩画集』一九九七年・千葉県御宿町刊所収)という随筆のなかで、「月の沙漠」の詩は、立教大学生のころ病弱静養のため夏ごとに行っていた「御宿の沙丘で得た幻想」によったものであると証言した。


と『日本童謡事典』には書かれている。一方、作曲した佐々木すぐるについては、

若い頃から音楽を好むが、家は貧しく、姫路師範学校に入った後も作曲を独学。その頃は未明まで作曲をした後、3時問ほど眠り、また早朝からボイラーマンとして働くといった毎日を送った。同校を卒業すると郷里で教職に就くが、音楽への夢を捨てきれず東京音楽学校に入学。(中略)1916年(大正5年)音楽教師として浜松師範学校に赴任し、在職中には「青い鳥」(詞・法月歌客)を作曲した。1922年作曲に専念するため上京、以後、自らが作った童謡を教材にして小学校の先生たちを集めて講習会を開くなど、教育音楽の普及に尽力。1923年挿絵画家の加藤まさをが書いた詩画「月の沙漠」に曲をつけて童謡として発表、これは自身の講習会などを通じて徐々に全国の少年少女たちに愛唱されるようになり、作曲家として名声を高めた。1924年からは自作の童謡を「青い鳥楽譜」として自費出版。
その後、1932年(昭和7年)から日本コロムビアの専属作曲家となり、詩人の久保田宵二とのコンビで「昭和の子供」「泣きむし毛むし」「花嫁ぎつね」「ひょうたんぼっくりこ」などの作品を発表した。戦時中には「兵隊さんよありがとう」「お山の杉の子」がヒット。作曲のみならず、青い鳥童謡学校の校長を務めるとともに、青い鳥児童合唱団を主宰して全国を巡回し、音楽の指導やラジオ出演、レコードの吹込みも行った。戦後は日本作曲家協会理事なども務め、黒沢隆朝との共編で小学校の音楽教科書の編纂にも取り組んだ。他の作品に「赤ちゃんのお耳」「狸の茶釜」「きょうからおともだち」などがあり、作曲にあたっては子どもの気持ちを重視し、子ども独自の旋律にこだわった。生涯に作曲した曲は2000以上に及ぶといわれる。


と『日本の作曲家 近現代音楽人名事典』(日外アソシエート)に書かれている。
これらを読むと、ああ、そうたったのかと知識としては吸収される。だが、この曲はもっと違うものを訴えているではないかと、鮫島有美子の歌う「月の漠」を聴きながら感じるのである。それを語るために、若干、私がこの曲に拘るに至る背景を述べておきたい。

沙漠01


3 ブルックナー第八番と「月の砂漠」
私にはもう15年以上にもわたって、私塾で多くのことを教えていただいている先生がおられる(O先生としておく)。O先生からはものごとを根本から掘り下げて考えるということを学んできた。数名の仲間と激論を交わした後、酒場で再び侃々諤々が続くことは毎度のことである。そのO先生も、「文学少女」と先生が呼ぶ夫人には頭が上がらない光景が懐かしく思い出される。その夫人が5年前、末期癌と診断を受け、西洋医学からは残り僅かと宣告された。それに対する反発からか、漢方そして鍼灸を初めとする自宅療養によって、もう6年目に入る現在もご夫婦での闘病生活が続けられている。O先生は数時間にわたる夫人への独自の療法を終えてから、執筆活動や外での活動を始められるという毎日である。そのご夫妻での闘病のありさまを書かれた本が出版されたのが2年半前。その後半に夫人との次のような会話が書かれている(Mは夫人の名前)。

しかし、それにしても、僕がMの人生にたいしてやってやれたことはあまりにも少なすぎました。学問だ思想だ、解釈だ実践だと大騒ぎした挙げ句に、Mを励ます言葉の一つもないというのでは、自分の人生は不毛な荒野を彷徨(さまよ)っていたのだろうか、と粛然(しゅくぜん) さらには悄然(しょうぜん) たる気持ちにならざるをえません。そして、一時間十五分のブルックナーの曲がようやく終わりました。Mはまだ眼を閉じたままでいます。その静寂のなかで、「Mよ、お願いだから、残り少ない人生の時間をできるだけ安らかに生きてくれ。残される俺のことなんか心配しないでほしい」と、この無信心者の僕が是も非もなく祈っています。そして、そうしたとて詮ないことと、祈りを追い払うようにして窓の外に眼をやれば、雨はもう上がり、すでに夕闇が訪れ、大気が朧(おぼろ)にけぶるなか、月も出ておりました。
そのとき、僕の耳の奥で、あたかも(死すべき時を告げる)「時の鐘」が鳴るようにして、ある童謡が響いてきます。ブルックナーのあとでは滑稽のきわみと知りつつも、「時の鐘」ならば致し方ないといった気分で、僕は「月の砂漠」の末尾の部分を口遊(くちずさ)みました。
「朧(おぼろ)にけぶる月の夜(よ)を、対(つい)の駱駝はとぼとぼと、砂丘を越えて行きました、黙って越えて行きました」。
Mが言います、「その砂丘というのは死のことで、だから、その浪漫は、死出の旅路を歌ったものよ。昔の童謡には恐いところがあるわね」。
「行く」は「逝く」であるというその説に間違いはない、と僕もつくづく思います。昔の子供たちは、童謡を通じてすら、死の感覚を学んでいたのです。昔の大人たちは生の感覚と死の感覚が表裏一体であることを子孫に伝えるべく、言葉を紡(つむ)ぎ音楽を奏(かな)でていたのです。その知恵を、Mと僕は死の間際(まぎわ)において学んでいるということなのでしょう。



この「月の砂漠」を「華麗哀傷的にしてしかも甘やかな歌曲を醸成する結果となった」と前述の「児童文化研究家」氏は述べているが、そうではなく、この曲には死の臭いがするのである。
御宿の浜で二人の男女が心中し、そのことにイマジネーションを受けて、大正末期、「少女倶楽部」で「月の砂漢」という歌詞が発表されたのである。
『日本童謡事典』では、加藤が描いた駱駝は一瘤(こぶ)駱駝で、一方、初出「少女倶楽部」挿絵の駱駝は二瘤駱駝でこれらは棲息地が違うと、実に些末なことを鬼の首でも取ったように述べている。
「児童文化研究家」であればなおさら、「メメント・モリ」、「死」について語ってほしかった。
この「詩」には「死」が語られているのだと。

「死」を語る「詩」
最後に「死」を語る宮沢賢治の「詩」を一つあげてみたい。宮沢賢治については、所謂賢治信奉者が多くいるし、私は門外漢でもあるのでコメントはせず妹トシの死を語った「永訣の朝」を載せることにする。

沙漠01



永訣の朝


きょうのうちに
とおくへいってしまうわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)                原注=あめゆきとってきてください。
うすあかくいっそう陰惨(いんざん)な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜(じゅんさい)のもようのついた
これらふたつのかけた陶(とう)椀(わん)に
おまえがたべるあめゆきをとろうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのように
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼(そう)鉛(えん)いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといういまごろになって
わたくしをいっしょうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまえはわたくしにたのんだのだ
ありがとうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあいだから
おまえはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを・・・・・
・・・・・ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまっている
わたくしはそのうえにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相(にそう)系(けい)をたもち               二相=(氷)液(水)の二相。
すきとおるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていこう
わたしたちがいっしょにそだってきたあいだ
みなれたちゃわんのこの藍(あい)のもようにも
もうきょうおまえはわかれてしまう
(Ora Orade Shitori egumo)                             原注=わたしはわたしでひとりいきます。
ほんとうにきょうおまえはわかれてしまう
あぁあのとざされた病室の
くらいびょうぶやかやのなかに
やさしくあおじろく燃えている
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらぼうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて               
原注=また人にまれてくるときはこんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてきます。
こんどはこたにわりゃのごとばかりで
くるしまなぁよにうまれてくる)
おまえがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜率(とそつ)の天の食に変って     
原注=兜卒の天=世界の中心須弥山の、上方にある天。
やがてはおまえとみんなとに満ちている       未来仏弥勒菩薩が住む。
聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいわいをかけてねがう
(一九二二・一一・二七)宮沢家所蔵本による
(宮澤賢治詩集『永訣の朝』岩崎書店)

涙が出る詩である。物理的には何も出来ない妹が兄に生きる希望を与えている。「もらう」のではなく、もうすぐ死に旅立つ妹が兄に言っている、前に進めと。
冒頭で紹介したご高齢の女性は、一生懸命会場の人々に楽しみを与えている。O先生の夫人も病床から先生に生きる目標を与えているような気がする。人から「もらう」のではなく自分の出来ることを与えている。投書の教員とは正反対の振る舞い、行動である。
たとえ肉体的に与えることが無理な人も、最後の「死に様」という美しいものを与えることが出来ると思う。

「死」について教え、語り、考えるという最も大事なことが欠落したまま多くの子どもが大人になっていく。「月の砂漠」は「死」について考えさせる「詩」であり、曲であると私は思う。
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marchan

Author:marchan
千葉 糺(ちばただす)
1947年生

東京理科大学大学院修了(数学・複素関数論専攻)
平成14年~18年度学習院中等科長・高等科長。任期満了の後、学習院高等科教諭(平成19年~24年度)を経て
学習院名誉教授。

(写真は雑誌『Shi-Ba』V.43
から。黒柴マーちゃん,
愛猫いっちゃんと)

国画会彫刻家 故・千野茂氏にデッサンを学び、その後テンペラ画を中心に個展、グループ展等開催。

時間を見つけて谷中「全生庵」坐禅会参加。日本ユダヤ学会会員。
2007年、イスラエルを中心に旅行。


最近の紀要論文
(1)『イエス・千日で世界を変えた男の受難』─「『事実』と『真実』というaporia」─
学習院高等科紀要第5号(学習院高等科 2007年)

(2)『イスラエル・灼熱の旅 リポート』─荒野の民から学ぶ─
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)

(3)『ナザレのイエスはキリストか』=二千年前の一ユダヤ人の死をめぐる過ぎ去ろうとしない「過去」=
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)
(4)『ユダヤ灼熱の旅リポート2』
─平和ボケの民と臨戦態勢の民─
学習院高等科紀要第7号(学習院高等科 2009年)
(5)『聖書への旅』─「生きること」の意味を探して≪マタイ受難曲を聴きながら≫─
学習院高等科紀要第8号(学習院高等科 2010年)
(6)「パリサイ派とは何か」─現代に問う
補遺 聖書を側面から理解するために
学習院高等科紀要第9号(学習院高等科 2011年)
(7)─横顔・一七世紀オランダ絵画・印象派─西洋絵画についての一考察
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(8)聖書が私に教えてくれること
─『イザヤ書』、コルベ神父、そして山本七平─
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(9)四十年を振り返る
学習院高等科紀要第11号(学習院高等科 2013年)
(10)『院歌の周辺』 ─安倍能成 信時潔 岩波茂雄 頭山満─(学習院高等科 2014年)
(11)『ヘブライ語で学ぶ創世記Ⅰ』「ノアの箱舟」
(12)『これからの教育はどうあるべきか 数学者・秋山 仁先生との対談』(学習院高等科 2015年)
─ 今まさに問われていること ─
(13)『国際化とInternationalizeの狭間で』
─その大いなる溝─(学習院高等科 2015年)
(14)『これからを生きるために』─未来志向の経営の理念─(学習院高等科 2016年)
(15)『地球儀を傍らに』─教職追放 地政学 国際法 民主主義─(学習院高等科 2016年)

(写真は死海での筆者,
シナイ山頂での夜明け)

「現代社会の問題を糺し未来の扉を開く会」

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