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第一回記念総会要約(3)

第一回「現代社会の問題を糺し未来の扉を開く会」

設立記念総会要約(3)




シンポジウム(後半)



千葉:次に、現在、大きな社会問題ともなっている「いじめ」「引きこもり」について、議論していきたいと思います。最近、日本でもアメリカ的なサーバー大学など自宅にいるままIT授業が受けられ、単位も取れる仕組みを作った学校がでてきています。「学位工場 degree mill」と言われていますが、今後そうした時流に媚びた教育機関がたくさん出るかもしれませんが、学校というものは、同じ場に同じような年頃の若者がたくさん集められて影響し合い、時にはいじめたりいじめられたりし、切磋琢磨し、こんな不思議な人間がよくもこの世にいるものだと呆(あき)れ返ったりしながら、教育されていく場所だと思います。この瞬間、いじめ容認発言だと言われそうですが、この会では「言葉狩り」はありませんので言わせていただきました。
「いじめる」とは、『広辞苑』では「弱い者を苦しめること」とあります。とすると、いじめの構造は民主主義にあることになります。なぜならば、民主主義というのは、いわゆる民衆に主権ありと礼賛するのはいいかもしれませんが、実際上は多数決です。多数決というのは、言葉を返せば少数派を排除するシステムです。しかも厄介なのは人間礼賛があって、次に少数者排除ということですから、排除された者・弱者は人間として失格となる。そういう意味で民主主義というのは恐ろしいものだという覚悟が必要なのです。
最近よく弱者に対し「セーフティーネット」という言葉が出てきますが、競争第一だと言っておいて、一方では競争から落後した人間にもセーフティーネットが必要だと言うのは、一種の二枚舌みたいなところがあるような気がします。
(「いじめ」は昔からあったわけですが)学校が荒れだして、「いじめ」「引きこもり」が大きな社会問題として生じたのは、「自分らしさ」「個性重視」が官民挙げて展開しはじめたときと一致すると思います。「集団の形成」と「個人の独立」の二つの要請を同時に受けていて、深い混乱のうちにあるときだと思います。
これは、「ビュリダンのロバ」の話を思わせます。ビュリダンという人は中世スコラ哲学者ですが、飢えたロバの左右に等距離で同量の餌をおいて、ロバはどっちの餌をたべて良いのか、判断できなくて飢え死にするという話です。価値観を教えることなく、「集団の形成」と、「個人の自由」の二つを尊重すべきだと主張してきた、私たちと共通するものがあるような気がしてなりません。「いじめ」「引きこもり」の原因・遠因の一つがここにあるのではないかと思うわけです。
企業としても「いじめ」は存在するでしょうが、学校でのいじめとの類似点あるいは異なる点について、石川さんの見解を伺いたい。

石川:「いじめ」の問題は難しい問題です。企業でもいじめは存在します。経営者をやっていると分からない場合が多いのですが、従業員の場合にはよく分かります。私は従業員時代、(ポジションが変わると)つねに栄転だと考えたり、(仕事の結果を)つねによかったとか思っていました。鈍感だったのが幸いしたのかも知れませんが、相当いじめられていたと思います。弱い人がいるのは事実です。(マックス・ヴェーバーの)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中に書かれているように、かつては競争社会で勝った者が負けた者の面倒を見ることが、神のもとでの暗黙の契約であることが表看板として作用していました。ところが現在ではそうではなくなった。作用しなくなってきた現在の資本主義に問題点があると思います。石田梅岩の思想とか、かつての「近江商人三方良し」という論理がなくなってきたのです。アメリカから入ってきたコーポレート・ガバナンスだとかコンプライアンスだとか言われていることが、これらは皆、実は日本から生まれたルールであり、日本の十八番(おはこ)、日本の発想です。それがいったん外国に出て日本に帰ってくると、初めて聞いたことのように考えてしまうのが日本人の弱さでもあります。現代の学校でのいじめ問題が生じた原因の大きな一つは、所謂番長がいなくなったからではないかと思います。かつては、番長が「ここらでやめとけ」と言って、今日のように自殺にまで追い込むようなことはさせなかった。そういう階層、ソサエティがあったのです。ある種のノーブレス・オブリージュ(Noblesse Oblige)があって、責任をとって退学になるのも彼らだったのです。 ヒエラルキーがあったのです。それがなくなったのが、今日の「いじめ」が生まれた一因だと思います。
会社というのは利益を上げるための集団です。それが第一義的に学校と会社とが違うところです。会社では組織の中で利益を上げるか否か、それによって制裁、ある意味でのいじめが生じてきます。マスコミは「いじめ」というと同じように報道しますが、そこが学校での「いじめ」と会社の「いじめ(制裁)」と大きく違うところです。利益がでないようなところにいつまでもいてもしょうがないと、辞める権利、いつでも辞められるというところが学生と大きく違う点でもあります。ニート、フリーター、ホームレスになってもいいのです。さきほど千葉さんが、価値の多様化と言われましたが、ニート、フリーターこれらを「悪」と決めつけるのがよくないのです。辞めたら今度は就職先がなくて大変だとマスコミは騒ぎますが、何も優良企業で一生を終えるのが「善」ではないはずです。まさに多様化した中でありながら、これがいいのだ、と押さえつけるところに民主主義のいじめがあると思います。民主主義というのは、1700年代のフランス革命のときに生まれた制度ですから、もう300年以上になります。300年以上も経ったら制度疲労を起こすはずです。人口が2000万人であった外国・フランスで生まれた多数決を根底にする制度を1億人以上の日本が、未だに何も疑問を持たずに素晴らしいと賞賛すること自体が問題だと考えます。わが国独自の新しいやり方、制度を模索・考えるべきときだと私は思います。

千葉:有難うございました。
かつて福田恆存は教育論の中で、フランスの哲学者アランを引用して子どもへの訓練の大事さを次のように言っています:

「訓練とは子供が厭がることを強制することであり、子供の意識に媚びぬことであります。それから見れば、納得づくの教育など、いちゃつきにすぎない。私のいいたいことは、子供をいじくりまわすなという一事に尽きます。子供は教師や教育評論家の玩具ではない。」

と。
この訓練・努力ということは、日本人が忘れつつあるモノづくりの大切さとも相通じることではないかと思います。貨幣で貨幣を作る、これを中谷氏は「パンドラの箱を開けた」という表現をしています。私たちは今、この忘れつつあるモノづくりの大切さを思い出し、次世代に伝える必要があると思います。
「教育サービス」という言葉が近年出てきますが、教育を「商品取り引き」に類比して語るのは教育の崩壊・自滅の道だと私は考えます。
「まとめ」の段階に少しずつ入ります。「卒業証書」に関して石川さんは、ある論文でこう書かれています:

「卒業証書のことを英語では、Commencementという単語を使用します。この言葉は、まさに始業という意味であり、卒業することで、終わりで、今後は違う社会で活躍をするための証書ではないはずです。とすれば、人間は死ぬまで、自分の勉強をした学校、大学の場合もまた高等学校、中学校の場合もあるでしょうが、その名前を背負って勉強を続けていくというわけです。」

と。
このように、石川さんは卒業とは、これから始まるということだと言われていますが、これについて一言お願いします。
                            
石川:アメリカでびっくりしたのは、Commencementという言葉が辞書では「始業」と書いていることでした。誤訳というのは山ほどありますが、例えば経済統計学で使う「Seasonal Adjustment Index」という言葉を「季節調整済み指数」と訳しています。Seasonableを「季節」としたところに問題があったのです。本来は「年月において」のような意味ですが、「夏だから・・・」とか「秋だから・・・」と思っていたらしいのです。Commencementは卒業証書、つまり終わりではなく始業ということです。この卒業証書というのは、たとえ倒産したり、自己破産しても差し押さえられない唯一の証書です。卒業生は、これをもらった学校に愛着を持って貢献すべきです。そして、卒業証書を頂戴した学校の暖簾を一生背負って勉強し続けるべきです。その学校の暖簾を背負って生きていくということへの自負、それまで自分がやった(過去の)ことを背負いながらこれから始まって行くんだよと、私は言いたいのです。たまにはアメリカも良いことをいいますよ(笑)。
ドイツのビスマルクは、

「愚者は自分の経験から学び、賢者は他人の経験から学ぶ」

と言っています。学校はまさに、賢者を育てる場であって、愚者を作る場ではありません。他人のことを学び、自分で考える場が学校であり、これが学校にとって最も大事なことだと思っています。

千葉:「教育にも市場原理、競争原理を導入し、経営努力を怠る学校は市場の淘汰にさらされて退場すべきである。それがフェアネスだ」、というのは一見論理的ですが、間違っていると思います。日本では、教育はビジネスではありません。中江藤樹の例でお分かりのように、歴史を無視することは出来ません。社会に出れば否応なくグローバル化した世界に入りますが、学校教育では、「グローバル資本主義が私たちに要請する生き方をどうやって学校の外へ押し戻すか」ということに集約されるだろうと思います。学校はそれを踏まえた「キャリア教育」を行うべきです。残念ながら、文部科学省や産業界が考えている「キャリア教育」は「個人の付加価値を高める」ことに力点が置かれ過ぎていて、働くとはどういうことか、どういう人間的資質が評価されているのかとは、大きくかけ離れたものです。他者との共同作業、コラボレーションで、貧しい資源を分かち合うという作法を大人が子どもに教えることができるようになること、これが非常に重要なことになるはずです。   
石川さんが述べ足りないことが多かったと思いますが、最後に一言あったらお願いします。

石川:アメリカについての補足をさせていただきます。日本の新聞には書かれなかったことですが、アメリカの有力紙には大きく報道されたことをご紹介させていただきます。今年の2月、新任のアメリカのCIA長官が「アメリカの安全保障に関する喫緊の課題は何でしょうか」と聞かれ、それに対し、“World Economic Crisis”と答えたという記事がありました。つまり、「世界の経済破綻がアメリカの安全の一番の問題である」と答えたというのです。どういうことかというと、日本の防衛大臣が「日本の安全保障で最も大事なことは何ですか」と聞かれたのに、「東証の株価です」と答えたと同じインパクトがあると言えます。何を言いたいのかというと、アメリカはなりふり構わず、経済を復興させるという手順に入っているということです。それから、ヒラリー・クリントンが中国に行って要人と会ったとき、“besides human rights”「人権問題はさておいて」と言っています。中国で、ですよ。世界中、日本中でチベット問題や北朝鮮の問題で騒いでいるときに、アメリカは中国に対して「人権問題はさておいて」、とにかく経済で頑張ってやりましょうと言ったことが報道されているのです。不思議なことに、日本の新聞のどこにも出ていません。日本の新聞がこのニュースを抹殺していたのか分かりませんが、一切報道されていません。ここで私が言いたいのは、私たち全員、われわれもマスコミも総じて勉強不足であるということです。アメリカ人というのは、為替だとか時差だとかそういうものはないと思っている人間が多くいます。私はアメリカで10年仕事をしてきましたが、アメリカの田舎で「exchange rate(外国為替相場)がどうのこうのとそれは何だ、全部ドルで通じるだろう」とか、私が「日本に電話すると言っても時差がある。日本は今は夜中だから」といっても「嘘だろう」とか平気で言う自分勝手な人間が多いのです。こういうアメリカ人が禁酒法を作ったり、禁煙を徹底させたり、すごくエキセントリック(eccentric)です。アメリカの気候がエキセントリックなので、彼らの性格もエキセントリックだと言われているかも知れませんが、そういう人々を相手として対峙するためには、アメリカのことアメリカ人のことを勉強する必要があるのです。それを全然しないで、今のグローバル・スタンダードがどうのこうのと言う。中谷先生の本を読んでいて私も辟易したのは、「やっと哲学や歴史、政治などを勉強しないと経済は分からないということに気がついた」というようなことが書いてあるからです。今の経済破綻が起きた責任の一端が中谷先生らにあったとすれば、さきの第二次大戦が起こったときにも同じようなことがあったはずです。同じことの繰り返しなんですね。ああいう方が、旗を振っては「さぁ、いくぞ。いくぞ」みたいなことをおっしゃる。日本は皆、勉強をしないで、自分の意見を持たずにいったためにあのような結果になったと思います。それに対し、アメリカ人は自分の意見を持って、時には迎合したり、時にはapple polishと言うのですが、お世辞を言ったりして生きているわけです。会社のことに関して言えば、日本の会社はほぼ実力主義です。かたやアメリカは実力主義で行けるのは途中までです。そこから先は、「よいしょ」やら上司の奥さんの誕生日には花を持って行ったりやら(笑)。とにかく「よいしょ」の連続をしないと偉くはなれないのです、そこから先は。そういう国なんですね、アメリカという国は。日本のマスコミは、アメリカは実力主義の国だとずっと言い続けていますが、こういうことも、皆さんが本当のところはどうなんだと思い、知る必要があると思います。アメリカは、奴隷制度が廃止されたのが確か1865年、建国が1776年の国ですが、私が行った1985年にトイレは黒人と白人は別々でした。プールに黒人は入れない、スケート・リンクにもテニス・コートにも入れない、1985年で、ですよ。それよりもっとびっくりしたのは、電車で白人の住んでいる町から、マンハッタンまで行く途中で黒人の住んでいる町の駅に電車が停車したときのことです。何と白人が乗っている車両はドアが開かないんです。そういうことを平気でやってきたエキセントリックな国が、今度は大統領が黒人になった。これはエキセントリックな国である以外の何ものでもないわけです。つい20年前までトイレが別々だったのが、ホワイトハウスの主に黒人がなった国なんです。こういう国とわれわれが、まともに付き合っていたら、われわれの身が持たないことは間違いなしです。教育制度にせよ、政治にせよ、経済にせよ、ビジネスにせよ、アメリカがこうだと言ったら「あー、そう」と言って「日本はこうですよ」と言ってしばらく様子を見ている。そうすると元に戻っているかも知れないのです。ヨーロッパのアメリカに対する対応はまさにこういう大人の対応です。ヨーロッパのビジネスマンも、アメリカのビジネスマンをエキセントリックな性格の人間だと見ています。日本だけがアメリカをそうは見ていない。これはまた「東京裁判史観」等に関係して話が長くなるのでこれについては、ここでは述べません。ただ、元気づけるために申し上げたい。グローバル・スタンダードだとか、コーポレイト・ソーシャル・レスポンシビリティ(Corporate Social Responsibility CSR:「企業の社会的責任」)、コンプライアンス、ガバナンス、デリバティブ、収益還元法だとかこれらは全部、江戸時代の日本からスタートしたものです。ひとつの例外もなく全てです。堂島でやっていた米相場がデリバティブの原型。太閤さんの検地が収益還元法の始まりです。そういうことを日本の経済学者も、政治家も、ビジネスマンも外国人にはっきりと伝えなくてはならないのです。つまり日本は世界に冠たる知恵の国です。私はいつも千葉さんに、明治維新が間違っていたので戦争が起きたのではないかと言っています。江戸時代に鎖国をしなかったらもっと日本は凄かったかも知れないとも思います。そのときは、太平洋戦争ではなく、「ミシシッピ戦争」ではなかったか(笑)。アメリカ人が入る前に、日本が入っていたのではないかと思います。山田長政とか、支倉常長、呂宋(ルソン)助左衛門だとか、皆、海外で活躍していたのです。私も日本よりも海外での方が、ずっと仕事がやり易くて、いくらでも多く利益を上げることが出来たという自負があります。また日本人はそういうDNAを持っている国民だと思います。今、アメリカ人は日本が怖いわけです。そういう歴史的背景を持った人間がアメリカ大陸にぞろぞろ来られたら大変だと思うわけです。近隣諸国も日本人の優秀さに関しては警戒しています。その日本人の知恵を壊しに来たのがアメリカなのです。教育の根本を壊しに来たのがアメリカです。それが壊されたら、輸出どころの話ではありません。国として成り立たなくなってしまいます。したがって、日本人がもっと徹底して議論して、相手が何をしようとして来ているかを考えなくてはいけません。わが国に資源はありません。したがって、土地を獲りに来ることはないわけです。占領して何がしたいのかというと、洗脳したいのです。それが経済戦争だとか、21世紀の戦争のやり方だと警戒する必要があるのです。資源があれば、戦争をして占領して土地を獲るわけです。資源がなければ洗脳して、その国民を自分たちの言う通りに自由に使いたいのです。まさに、それでわが国は岐路に立っているわけです。これを切り抜けないと大変なことになってしまいます。それをこの『糺の会』は出来るのではないかと思い、今日、こういう機会に話をさせてもらった次第です。

千葉:有難うございました。
まとめに入ります。石川さんの話にもありましたように、幸い日本は、まだまだ世界一恵まれたと言っても過言ではないでしょう。ケイタイで本来の友だちは得られないこと、パソコンでの知識は読書の足元にも及ばないことを大人が、教師が教えなくてはいけません。また、それを自覚すれば、子供は立派に成長するはずです。時間をかけて、「Time is money」の世界ではなく、画一的に子どもを見るのではなく、いろいろな価値観を与える。与えられる大人になる。そういう努力を心がける。それによって、子どもは必ず、素晴らしい光を放つはずです、と述べて、一旦討論は終わらせていただきマイクを司会者に渡します。有難うございました(拍手)。  

質疑応答




司会:千葉先生、石川先生、有難うございました(拍手)。多岐にわたって核心に触れた論議が展開されて、本当に有難うございました。もっともっと聞きたいのですが、ここで質疑応答に入らせて頂きます。どなたかご質問等ありましたら、挙手をお願いいたします。こちらからご指名させて頂きますので、お名前をお名乗りの上、ご質問ください。



質問者T氏:千葉先生が先程、民主主義は人を排除するものであること、石川先生からは、民主主義が300年以上前の制度であって、制度疲労しているということが話されました。お二人に伺いたいのですが、それでは民主主義に代わる制度としてどのようなものがあるとお考えか、お聞かせいただきたい。

石川:ご質問有難うございます。日本人は組織の国です。「一党独裁という言葉が悪い」と言われていることをまず議論しなくてはいけないと思います。要するに、護送船団方式という形で日本は復興してきて、これがやり方としては日本人にむいていたということが言えます。民主主義という皮を被りながら、実は民主主義ではない、いわば独裁的なんですね。こういう形で弱者に対しても目配りして進んでいくシステムがわが国には適切であると信じてやまないものであります。現在、私の会社が北海道にございまして、次のようなことをよく言っております。すなわち、津軽海峡を封鎖して北海道は独立して、大統領制にする。そして一党が独裁的な政治を行って、政治にコストをかけない小さな政府にする、聖徳太子みたいな方にやっていただきたい、と。こういうとお前は右翼か(笑)とか、ヒトラーの再現か(笑)とかこういう話になってしまうのが残念です。こういう議論を経て適切なシステムは何なのかをもっとオープンに議論することが望ましいと思います。

千葉:さきほど申しましたように民主主義を絶対だと、金科玉条の如く、何の疑いも持たずにこの言葉を使うことが第一に危険だと思います。また、民主主義は弱者の排除という思想が根底に流れていて、極めて残酷な側面がある、ということをつねに気にしながら対応する必要があると思います。当面は民主主義でいくしかないと思いますが、つねにその危険性を気にしながらこの言葉を使い、かつ、対応する必要があると思います。

石川:中谷先生がその本の中で、何でこんなことを書いているんだろうと思ったのですが、キューバのカストロのことを書いています(注1)。カストロは社会保障を独裁でやっていて、どんな貧しい人でもどんな金持ちでも国が面倒を見て病院に無料で入れるわけです。一方、アメリカでは自分で掛けている保険の額によって医療のレベルが全然違ってきます。勿論、保険がない人はまず病院に入れないわけです。私もアメリカで交通事故にあったとき、救急隊が来て真っ先に名刺を見せろと言うわけです。見せたら、プレジデントとなっているので「すぐ秘書に電話して、アポイントを全部キャンセルさせろ」と言うわけです。なぜそんなことをと言ったら、「後で損害賠償されると大変だから」というのです。次に言うのが「保険はどうなっている?」なのです。保険に入っていないと、救急車が動かない、それが民主主義の国アメリカなんです。独裁国家キューバはみんなが仲良く診てもらっている、これは非常に矛盾だ、アメリカの矛盾だと中谷さんは書いています。そんなことは昔から分かっていることです。社会主義が急激に発展していくと、旧ソ連の崩壊だとか、中国の独裁とかになるわけですが、社会主義が一番人間を殺していて、民主主義が一番人の心を殺しているのは間違いありません。フィジカルに殺すか、メンタルに殺すかということにも大きな違いがあると思います。ですから、世界各国のいろいろな例を研究して、広く議論を起こしていけばいいと思います。

(注1)

「キューバの平均寿命は77.5歳で、これはアメリカやカナダに匹敵する数値である。社会主義国のキューバでは医療費は当然のことながら全額無料であって、さらに幼稚園から大学まで教育費は無料である。こうやってみていくと、少なくとも医療や教育面だけを見るならば、アメリカとキューバどちらのほうが住みやすい国だろうかと考え込んでしまう。なるほどアメリカのほうが「カネさえ出せば」、キューバでは得ることができない超高度な医療サービス、教育サービスを得ることはできるだろう。しかし、それはあくまでも富裕層のものであって、貧しい人たちが得ることはできない。
よく知られていることであるが、アメリカ人が受けられる医療サービスの質は、かなりの程度、それぞれの収入によって決まってしまう。高等教育についても、アメリカでは私学が中心なので元々学費は高かったのだが、近年は市場原理が導入されたせいでさらに学費が高騰し、今では年間数万ドルにまでなっていて、大変な社会問題にもなっているほどだ。」(『資本主義はなぜ自壊したのか』123ページ)



質問者T氏:アメリカに十数年いられたという石川さんが、アメリカをそれだけ否定されたということには共感しています。石川さんが「独裁者」と言われたのは「強いリーダーシップを取れる人」という意味と解釈してよろしいでしょうか。

石川:そうですね。リーダーをつくるようなシステムが崩壊してしまった国、日本という感じですね。リーダーの資質とは、①知力、②体力、③精神力、④説得力、⑤継続的な意志、この五つの素養だと思います。テクニカルと総合的な知力も、どんなことがあっても体力も大事ですし、精神力も大切です。また、少なくとも「分かりました」と相手に言わせるロジックがないといけませんし、日々継続する強い意志、これもないといけません。今の日本には、これらを子どもの頃から訓練して育てようという環境がないと思います。

質問者M氏:石川さんがおっしゃったことの中で、アメリカの差し金で日本の教育が悪くなったというところは、大変刺激的で面白い話でした。問題の一つに今の学生をどうするかがあると思います。制度を改革していくには今後、10年、20年かかってしまいます。一方で、喫緊の問題としてマインドコントロールされた学生をどうやってそこから解き放つかという現実の問題があります。石川さんのご見解を伺いたい。

石川:自分の経験からですが、各家庭で、「資源がないわが国を洗脳しようとしているのだ」と口を酸っぱくして言うことが大切だと思います。わが国の伝統的な学問、例えば万葉集などの古典が大事だということを家庭が教えることが大切だと思います。今のところ、国には期待できない状況ですから。安倍元首相が提案された教育改革をやろうということ自体は良いことでしたが、残念ながらさきほど申した強い意志のないリーダーですぐ駄目になってしまいました。まぁ、民主党が政権をとったら日教組出身者が文部科学大臣になるでしょうから、これはまた大変でしょうが(笑)。

質問者O氏:区立小学校の先生から、「いじめ」などのいろいろな問題について、関わっている子どもの親御さんとのコミュニケーションがうまく取れないという話を聞くことが多くあります。また、うちの子は悪くないというように権利を主張する親御さんが多く、その対応に終始する時間が膨大で授業やその準備に影響があるとも聞きます。また、授業中に歩き回る子どもを注意すると「うちの子も他のお子さんと同じように普通の授業を受けさせたいのだ」と主張され、レベルが違っても、他の子が迷惑することなど考えない親がいるとも聞いています。このへんのことについてのご意見を伺いたい。

千葉:一時、「モンスター・ペアレンツ」という言葉が流行しました。「モンスター・ペアレンツ」が悪いと言ってしまうのはとても便利です。しかし、いまはもう「モンスター・ペアレンツ」はなくなったとか、もともと存在しなかったとかいう意見もあります。悪者を作っておくと話がしやすいのです。それは兎も角、子ども達の価値観の多様性ということに親・大人は気づくべきです。誰でも得意、不得意はあります。さきほどの話の中で申し上げましたが、試験の点数が高ければそれでその子が「正しい」というような評価をしてはいけないのです。まったく愚かな考えです。また、学校というのは保護された世界であるはずで、学校での問題は、基本的にその中で処理するべきで、グローバル化・壁を取り払ったら学校ではなくなるわけです。大人はマスコミに動かされるのではなく、自分でもっと考えるべきです。「モンスター・ペアレンツ」云々とマスコミが騒いでも、もっと自分をクール・ダウンさせる必要があると申し上げたい。

石川:日本人は私人から注意されると「この野郎」と言い返してきますが、お巡りさんから言われると言うことを聞く、こういう不思議な国民です。さきほど、この会場に来るときに市ヶ谷の交差点の中で路上停車している車がいました。中に乗っているアベックに「ここは交差点だから、すぐどきなさい」と言うと、「何の権利があって言うんだ」と凄んで、言い返すんですね。「権利ではなくてルール違反だから言っているんだ」と言ってもどかないんです。しかも目の前に交番があるのに、です。また交番のお巡りさん自身も見ているのに全然動かないのです。私はそのお巡りさんに「あなたは何のために給料をもらっているんだ。ああいうのを早く取り締まれ」と言って、実際にそのお巡りさんが注意しに行くまでじっと見ていました(笑)。電車の中での携帯電話、化粧、他の席が空いているのに優先席にどっかりと座る若者、日々こういうことの連続なんですね。学校でも同じですね。一市民が一個ずつ言わなければいけません。言うしかないと思っています。

次回の予告


司会:たくさんの質疑があるようですが、お時間の都合上、質疑応答をこの辺で終了させて頂きます。次回のシンポジウムについて理事長・千葉糺より説明させていただきます。

千葉:次回は11月に「高齢化『問題』と年金問題」ということでシンポジウムの開催を予定致しております。ここで、パネリストとして予定しております、平野医師、忠岡医師、鈴木の各氏に1分間スピーチをお願い致します。

平野:私が知っていることはほんの僅かですが、(高齢者の抱えている)もの凄く悲惨な現実を、皆様に分かっていただいて、高齢者医療について考えていただくきっかけになればと思っています。よろしくお願い致します(拍手)。

千葉:平野さんは、江戸時代から代々診療所、病院と続いている家柄の方で、毎週末、欠かさずにボランティアとして老人医療施設に足を運んでいらっしゃる病院長です。

忠岡:私は一介の町医者ですので、あまり大所高所からものを考えるということはしなかったのですが、現場の混乱の状況を皆様にお伝えして問題提起していければ幸いだと思っています。いろいろな経験をしないと分からないということで、臨床医学が発展してきましたが、お年寄りをどう診ていくかということは、実は現場でも全くよく分からないというのが実情です。老年医学という科目があることはありますが、ほとんど教育されず、混乱の中で方法を探っているというのが現状であります。11月まで考えて、皆様にお話を提供できればと思っております(拍手)。

千葉:忠岡さんは、末期癌、末期医療が専門で後期医療問題が緊急課題だと言い続けている病院長です。

鈴木:年金の問題というテーマでお話をいただきました。私は10年ほどアメリカに行っておりました。今日のテーマである教育問題にも関心があるのですが、昨年7月に帰ってきて「日本の国は近く滅びるな」と思いました。アメリカでグリーンカードも取ったので、機会があったらアメリカに戻りたいなという気持ちが実はございます(笑)。アメリカでもソーシャル・セキュリティ・タックス(Social Security Tax)という年金の原資になるものを払っていました。日本でも勿論、会社勤めをしておりますので払っています。日本の年金のシステムは、3本(脚)の椅子とよばれるものから成っています。一つは控除・政府からの支援、これは社会保険というところから出ます。次に世代間扶助、これは現在働いている人たちがリタイアした人たちの原資を賄うというものです。それと自助、これは自分たちの年金は自分たちで賄いましょうというもので、年金はこれら3本(脚)の椅子から成っていると言われています。この世代間扶助が少子化の影響で2050年になると非常に厳しくなることが分かっています。また、政府の補助が、今回3分の1から2分の1に引き上げることになっていますが、その原資をどこから持ってくるか、その議論も社会保障審議会などでも白熱していましたが、未だ決まっていません。というのは例えば、消費税から持ってくるとすると、消費税を1%上げないといけません。1兆1千億円という額になるからです。果たしてそれが国民の理解が得られるかどうか。そしてこのままこの調子でいくと、消費税が10%を超えないといけなくなります。イギリスは消費税が10%を超えていますし、アメリカでは8.725%です。これぐらいでやっと何とか社会保障を受けることが出来るのです。果たして日本はこれでいいのか。そして、未曾有の金融困難になってきて自助の部分、積み立てていたお金が半分になった、あるいは25%減ったとアメリカなどでは言われたりしていますが、果たしてそういう中で自分たちの将来はどうなるのか、もう一度考えてみなくてはなりません。そういったことで私にできることであればと、喜んでお引き受けさせていただいた次第でございます(拍手)。

千葉:鈴木さんは、アメリカに10年間滞在中、コーネル大学大学院で「アメリカの年金システム」に関する論文で学位を取得され、昨年帰国されました。某総合研究所に勤めておられ、近々また専門書を出す予定と伺っています(注2)

ここにおられる3名と、他1~2名で11月「高齢化『問題』と年金問題」について取り上げたいと思います。これから約半年間、私たちも勉強会を開いたり、施設見学をしたりして少しずつ積み重ねていってその集大成として、11月に臨みたいと考えております。冒頭で申し上げましたように、この会は皆様方と一緒につくっていく会です。皆様方のお考え、ご希望、ご意見等何なりとお聞かせいただきたく存じます(拍手)。

(注2)『米国発金融再編の衝撃』(日本経済新聞出版社)が共著として4月15日出版された。





最後にNPO法で定める「社員」の紹介が理事長からあり、2時間余りにわたる総会が無事終了した。会場は名残惜しそうな、去りがたい雰囲気に包まれていた。千鳥ケ淵も外堀周辺も外は夜桜が満開であった。

(後記)
特定非営利活動法人として申請することから、今回の記念総会に至るまでの1年余りをともに歩んできたスタッフには心から感謝しています。同時に、当日ご参加いただいた多くの方々に深く感謝申し上げます。開催数日前から打ち合わせを繰り返す度に、皆に心地よい緊張感が流れていることがひしひしと伝わってきました。当日のアンケートに書かれたどのご意見も、貴重なものばかりでした。NPO法人(申請への都からの回答は6月)とは、関心のある人たち誰にでも広く門戸を開けるという主旨の法人です。
現代社会が抱える問題を糺し、ほんの僅かでもそれを解く糸口・鍵が見つかれば、とスタッフ一同改めて使命(ミッション)を強く感じ、長い一日が終わりました。
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プロフィール

marchan

Author:marchan
千葉 糺(ちばただす)
1947年生

東京理科大学大学院修了(数学・複素関数論専攻)
平成14年~18年度学習院中等科長・高等科長。任期満了の後、学習院高等科教諭(平成19年~24年度)を経て
学習院名誉教授。

(写真は雑誌『Shi-Ba』V.43
から。黒柴マーちゃん,
愛猫いっちゃんと)

国画会彫刻家 故・千野茂氏にデッサンを学び、その後テンペラ画を中心に個展、グループ展等開催。

時間を見つけて谷中「全生庵」坐禅会参加。日本ユダヤ学会会員。
2007年、イスラエルを中心に旅行。


最近の紀要論文
(1)『イエス・千日で世界を変えた男の受難』─「『事実』と『真実』というaporia」─
学習院高等科紀要第5号(学習院高等科 2007年)

(2)『イスラエル・灼熱の旅 リポート』─荒野の民から学ぶ─
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)

(3)『ナザレのイエスはキリストか』=二千年前の一ユダヤ人の死をめぐる過ぎ去ろうとしない「過去」=
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)
(4)『ユダヤ灼熱の旅リポート2』
─平和ボケの民と臨戦態勢の民─
学習院高等科紀要第7号(学習院高等科 2009年)
(5)『聖書への旅』─「生きること」の意味を探して≪マタイ受難曲を聴きながら≫─
学習院高等科紀要第8号(学習院高等科 2010年)
(6)「パリサイ派とは何か」─現代に問う
補遺 聖書を側面から理解するために
学習院高等科紀要第9号(学習院高等科 2011年)
(7)─横顔・一七世紀オランダ絵画・印象派─西洋絵画についての一考察
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(8)聖書が私に教えてくれること
─『イザヤ書』、コルベ神父、そして山本七平─
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(9)四十年を振り返る
学習院高等科紀要第11号(学習院高等科 2013年)
(10)『院歌の周辺』 ─安倍能成 信時潔 岩波茂雄 頭山満─(学習院高等科 2014年)
(11)『ヘブライ語で学ぶ創世記Ⅰ』「ノアの箱舟」
(12)『これからの教育はどうあるべきか 数学者・秋山 仁先生との対談』(学習院高等科 2015年)
─ 今まさに問われていること ─
(13)『国際化とInternationalizeの狭間で』
─その大いなる溝─(学習院高等科 2015年)
(14)『これからを生きるために』─未来志向の経営の理念─(学習院高等科 2016年)
(15)『地球儀を傍らに』─教職追放 地政学 国際法 民主主義─(学習院高等科 2016年)

(写真は死海での筆者,
シナイ山頂での夜明け)

「現代社会の問題を糺し未来の扉を開く会」

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