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第一回記念総会要約(2)

第一回「現代社会の問題を糺し未来の扉を開く会」
設立記念総会要約(2)






第二部 シンポジウム


千葉:初めに、なぜこの「教育」と「ビジネス」というテーマを取り上げたかについてご説明致します。
教育論というのは、ソクラテスの昔から知識人のスタンブリング・ブロック(stumbling block)、つまずきの石であると言われています。その最大の理由は、教育には立派な教育者が必要なのだが、一体誰が立派な教育者を教育するのか、という問題が待っていてこれが解けない。だから、教育論だけには手を染めるな、という意味です。人間にとって、国家にとって、決定的に重要なものは教育なのですが、教育ほど恐ろしいもの、そして大事なものはないとも言い換えられます。
であるがゆえに、それを第一回目に敢えて選らんだ次第です。

さて、安倍内閣のときに、教育再生会議が「教育改革」に関する報告書を出されました(その内容はこの会のブログをご覧下さい)。
そこで打ち出された「最終報告書」は「教育改革」とはほど遠い、正確に言えば、「教育界改革」というべき内容でした。その中で提言している
【直ちに実施に取りかかるべき事項】からいくつか拾ってみますと、
(1)徳育の充実
(2)体験活動の推進
(3)いじめ問題への対応
(4)体力の向上、学校給食を通じた食育
(5)ゆとり教育の見直し、学力向上の具体策
(6)小学校の専科教員の配置(理科、算数、体育、芸術など)
(7)英語教育、理科教育の抜本的改革
(8)教員免許更新制、教員評価、指導力不足認定
(9)社会人等の大量採用
(10)IT化、共同事務処理など教員の事務負担の軽減
(11)学校の責任体制(副校長、主幹教諭等の配置、組合との関係の是正)
(12)大学教育の質の保証(卒業認定の厳格化)
(13)世界トップレベルの大学院教育
(14)俗悪番組、出版物、ゲームの有害情報に対するメディアやスポンサー企業の自粛・自主規制
(15)社会総がかりでのネットワークの形成

これらは「最終報告書」のほんの一部ですが、まさに、「両論併記」、「てんこ盛り」です。
杜撰な計画、「あるべき姿」論と、「現実の姿」論の大きな乖離、グランド・デザインの欠如、場当り的対応、あいまいな表現等々で満ちあふれています。大体、この改革を誰が行うのか。丁度、動いている車を運転しながらその車を修理できるか、ということと同じです。ここでいう改革を主に担うのは、この委員会が暗に言っている「ダメ教師」しかいないのです。教育論がスタンブリング・ブロック(つまずきの石)と言われてきた所以です。

評価は真っ二つですが『失敗の本質』という有名な本があります。ちょうどそこに書かれているかつての日本についての内容が、現実と乖離しているという意味で、まさに今回の「報告書」に符号します。言うだけ言って何もやらない杜撰な内容というのは、日本を侵しているある種の「国民病」ともいえます。
「最終報告書」は、「学力低下」を防ぐことを念頭にした報告書ですが、「学力低下の事実」というより、「学力低下の事実」を切実な問題であると認識しない若者が輩出されている、という事実を真っ先に問題だと考えなかった、という大きな問題が生じます。先ほど述べましたように、偏差値が上がることは、あくまで相対的なことです。そこに気がつかずに報告書を作って、それで是とするという危険性、国民病。その根底に流れているのは、「成功したらそれが正しい」、しかも誰よりも早くという考え、まさに「Time is money」のビジネス的考えです。
私が若いころ「教育には時間がかかる。絶対に焦らないこと」と教えてくれた方がいました。
教育というシステムは、差し出したものとは別の形のものが、別の時間に、別のところで戻ってくるというシステムです。
時間をかけないと効果が分からないシステムです。それを理解できない人たちが、それとは相反する方向(効果をすぐ求めようとする)に向けようとしている。こういう背景から、実際企業の第一線で、「Time is money」の世界で活躍されておられる人と討論したいと考えた次第です。

では、石川さんとの討論に入ります。
石川さんは、10年間アメリカで仕事をされてきましたので、初めに今日のテーマからずれるようですが、(実はそうずれないはずですが)、今日の参加者の方々が関心があると思われる、中谷巌発言の変遷を巡る記事についてのご意見を伺いたいと思います。
本会のブログでも紹介しましたが、ここで簡単に紹介しておきます。

(今年3月14日朝日新聞)

「小渕内閣の経済戦略会議議長代理として構造改革の旗振り役だった中谷巌・三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長が市場経済の行き過ぎ批判への「転向」を表明した『資本主義はなぜ自壊したのか』が、経済学者らの間で賛否両論の波紋を広げている。主張変更は是か非か、責任をどうとるべきか。議論は経済論壇のありかたにまで及んでいる」

とあります。
この本は、平易に書かれていて読みやすい本でしたが、私には苦痛と言うよりは、放り出したくなったという方が正確な本でした。彼は、

「人間は成長とともに意見を変えるものなのではないでしょうか。私の場合は、アメリカ経済学にかぶれて政策関与した自分への反省の意味をこめて、「転向」という言葉を使いました。「懺悔」いう表現が適切かどうかわかりませんが、編集者が大きく取り上げて、面はゆい。でも言論人として、間違っていたことは率直に発信しておきたかった。」

とも述べています。
この本が出る随分前から、石川さんは北大・楡法会という同窓会の論文の中で、次のようなことを書き、警鐘を鳴らし続けてこられています:

「わが国の各界のリーダー達がグローバル・スタンダードを一神教のごとく称え、他国からの要望により、国内の社会システムの変更を安易に行うことは、グローバルスタンダード原理主義を称える愚かなことでしょう。わが国固有の美徳、思想、哲学を踏まえたうえで、自国の社会システムを自らの手で改革し、グローバル社会に適合する体制を整え、世界に貢献することがわが国に現在求められていることです。つまり望ましい同盟関係を結べるよう、わが国に於いて、国益を尊重したしっかりとした哲学、思想の復興が望まれ、社会全般にその哲学が敷衍されることを期待しています。」


本日の直接的議題ではありませんが、簡単に中谷氏の言動について、企業人として石川さんのご意見を伺いたいと思います。




石川:(石川氏は、冒頭、アメリカでの十年間を始めとする、十数年にわたる豊富な海外経験やこれまでの自分の経歴をさらりと話された。さらりと話されたが故に、その行間からは、多くのご苦労があったであろうことが察せられた。)

80年代に日本人を「エコノミック・アニマル」とアメリカ人が呼んだ本当の意味は、「哲学を持たないビジネスマン」の意味でした。私は、アメリカ人のそういう考えに対し、マックス・ヴェーバーの著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』等より先に、日本では石田梅岩の『都鄙問答』等によってすでに、商人道・資本主義の精神を説いていたことをアメリカ人のビジネスマンに教えました。初め驚いていた彼らも最後には納得していました。
村山内閣以降、『米国年次改革要望書』 (注1)に基づいてわが国が動いてきていることがよくわかります。年末に次年度要求事項が示され、日本政府にやってもらいたいことの一覧が、米国大使館ウエブサイトに公開されてきています。ご丁寧にも日本語でも書かれていて、1992年から2005年まで実現した項目が一目瞭然になっています。例えば、司法改革(裁判員制度、法科大学院等)、郵政民営化、デリバティブ等々、この要望を忠実に行ってきたことが分かります。これならいくら日本のトップが代わっても困らないはずです。こうしたことには、必ず旗振り役の学者・知識人がいるものですが、中谷氏もその一人です。私は中谷氏ら哲学のない人間(アメリカ人のいう「エコノミック・アニマル」)とは常に一線を画してきました。
(注1)『米国年次改革要望書』については、『拒否できない日本』(関岡英之 文春新書)等参照。未だに「エコノミック・アニマル」(哲学のない人間)ぶりが詳細に書かれている。

千葉:有難うございました。
少しずつ、本題に入りたいと思いますが、もう一つ、こういう機会ですので、学生の就活、就職活動に関する話を伺いたいと思います。一昨日の朝日新聞投書欄「声」に、22歳の学生が、「学生生活壊す就活雪崩現象」という題で次のような「悲鳴」を述べていました。読んでみます。

「大学生の就職活動に「就活スタンピード現象」なるものが起きていると思う。スタンピード現象とは草食動物など弱い生物が何かに驚いて一斉に一つの方向へ集団暴走するいわば「雪崩現象」だ。派遣切りや未曽有の金融危機に学生が不安を抱き、行動を過激化させている。入社したい企業だけでなく、説明会の予約やエントリーできる企業は全部応募する。「どこでもいいから内定がほしい」という学生が多くなった。」


ところが、私が最近ある人事担当者と話したとき、「就職時の面接は数十秒で終わっている(決まっている)」と聞きました。石川さんは「モティベーションアップの話」という論文で

「仕事はチームで行う」

と言われています。他方で、昨今多くの大学がこの投書にあるように、真っ先に就職・就職率を考え、就職予備校的なことをしています。チームで行うということとはほぼ正反対に、個性というものを如何に出す(無いものをあるように見せる)ことを大学が指導している。この様相が企業人としてどう見えているか。就活、就職活動の採否の基準を「個人の能力の格付け」と考えている学校がほとんどだと思いますが、石川さんの偏見的な眼で見てのご意見で結構なのでお聞かせいただきたい(偏見的と言いましたが、言い間違いではありません。人間の眼は常に曇っていたり、血走っていたり、酔っていたり、近視眼的だったりする。しかしそれが実は「個性」と解釈されていると思いますので)。 




石川:私はサラリーマンのプロを目指して就職いたしました。そして、サラリーマンのプロとは、匍匐前進(ほふくぜんしん)(注2)の連続だということを覚えました。頭を上げると撃たれ、前に進まないと撃たれる。人より早くやっと第一のトーチカに入る(例えば会社の課長なる)まで匍匐前進する。トーチカに入った後、また進まないと前からも後ろからも撃たれる。そして、第二のトーチカを目指して匍匐前進する。これを連続していかないとサラリーマンのプロにはなれない、ということです。
一方、「会社」とは「社(やしろ)」に「会(う)」と書きます。お「社(やしろ)」とは士農工商、土方、船方、馬方、詐欺師、手品師、占い師、犬猫まで多くのものが集まる場です。言い換えると異質の統合の場が会社なのです。同質ものの統合は簡単ですが、会社の経営者とは異質のものの統合という特殊技能の持ち主でなければいけません。一番儲けた人とか、レスペクト(尊敬)される人が、必ずしも会社の経営者として相応しいとは限りません。異質のものの統合という認識がない人が経営する会社は、残念な結果になる場合が非常に多いのです。こういう中で会社の採用が行われるのですが、大学が就職予備校化して、会社に入る場合の要点と称することを勝手に決めてかかっています。面接の際に「何のために働くのか」という質問に、「自分の能力を伸ばすためです」と答えたら、その瞬間私はお断りです。真に触れたことを聞かれたときに、正直に答えないときはすぐに分かります。たとえその場では分からなくても、嘘をついているのはいずれ分かります。飾った言葉で繕おうとして答えに窮するようでは駄目です。私は「嘘をつくな」と小学生のときから教えられ続けてきましたが、「自分のために働く」「酒も飲まない」等々こういう人は、先程の社(やしろ)という組織にはむいていません。組織とはそういうものだと納得していない人とは、チームワークどころか、チームを作ることすらできません。この教えは住友財閥の中興の祖といわれた川田順(注3)が述べたもので、その下で伊部恭之助や現在98歳で活躍されている安藤太郎氏等がおられます。日本は今までも、これからも組織で動いていかなくてはならない国です。組織を壊すようなグローバル・スタンダードによって現在のような惨状になってしまったという現実を、学校は分かっていません。異質のもの同士が会う場、社(やしろ)で会うのが企業なのです。学生の就職に対して私たちが望んでいるのは簡単に申し上げると以上のようなことなのです。


(注2)匍匐:地に伏して手と足とではうこと。『 広辞苑』
(注3)川田順:(1882~1966)歌人としても有名。

千葉:有難うございました。少しずつ本題に入って参ります。 ここに二つの新聞記事を紹介致します。                                           

①株式会社大学「募集停止」

構造改革特区制度を利用して株式会社が設立した大阪市の「LCA大学院大学」(学長・山崎正和中央教育審議会会長)が、来年度の学生募集を停止する方針であることが17日、明らかになった。学生数が定員を大幅に割り込み、経営難が続いているためで、廃校を視野に入れた対応だ。(08年12月読売新聞)


②「法科大学院:教員足りず質低下 乱立で合格率低迷」


訴訟社会の到来を見越して法曹人口を増やそうと設置された法科大学院が、定員の見直しや再編を迫られている。7~8割を目指した新司法試験の合格率が3割程度に低迷しているからだ。背景として、法科大学院自体の乱立による質の低下が指摘されている。裁判員裁判などの司法制度改革を控え、危機感を抱いた国は少数精鋭化に向けた定員削減を求めた。(09年1月毎日新聞)



株式会社立の学校と法科大学院についてのこれら二つの記事について強く感じるのは、そこには学生不在、現場不在ということです。そして若者を振り回し、運命まで左右した責任者が誰なのか不明だということです。教育現場を知らない人間が絵空事で描いた夢が、泡と化しつつある現象である。株式会社として学校は運営できると誰が判断したのだろうか。新司法試験で7―8割の合格率を目指した法科大学院はそもそも、実現可能なことなのだろうか。その道を選択した若者の「自己責任」という冷たく聞こえる言葉で片付けられることなのだろうか。ここにも競争に勝ったものが正しく、負けると「自己責任」という「アメリカ病」的競争原理が根底に流れています。

石川さんは、ある論文の中でエジソンの話を紹介されているが、興味深いのでここで皆様に紹介したいと思います。

「エジソンは白熱電球の発明に関して、完成させるまでに1年間に5000回も失敗をしたといわれています。その際エジソンは、5000回もの失敗に関しての質問があったとき、「5000回も失敗した?それは考え方が違うよ、うまくいかない5000通りの方法を発見することに成功したんだよ」と答えたそうです。つまり、エジソンは 失敗を積み重ねることによって成功の布石としている、失敗を前向きに捕らえ常に不断の努力を重ねていったということです。」


これは、何も大学だけの問題ではなく、先ほど紹介した「てんこ盛り」に終始している教育再生会議の「最終報告書」も同様の問題を孕んでいます。私は、本来、学校というのは「壁」の中で学生・生徒を保護するべきものだと考えています。壁で保護されている間に、いろいろなことをのびのびと学ぶ、それが学校だと考えています。ところが、学校教育にビジネス的考えを導入しようとしている。壁を壊そうとした、言い換えるとグローバル化したときから、学校とその外側の温度差が無くなり学校教育が破壊され始めたと思います。
石川さんの学校教育のビジネス化について、ご意見を伺いたいと思います。 
    
石川:もともと学校とビジネスは相容れないものだと認識していますので、昨今、学校経営で儲けようという企業ということ自体、あり得ないと思っています。学校は寄付によって成り立つ事業です。主に卒業生による寄付で成り立つのが学校のあり方です。(大学の場合)卒業して1年目は、在学5年であり、卒業して30年たったら、在学34年という風に、卒業生が寄付することによって在校生に勉強する環境を提供する。こうした仕組みで成り立つのが学校です。
私は現在、北大の法科大学院諮問委員をしております。諮問委員の9割方が国家公務員上級試験合格者か、司法試験合格者である中、どちらも受けていない私は特異な存在です。ご存じのように、現在の法科大学院は司法試験を3回までしか受けられません。30歳前後の若者が、3回失敗するともう受けられない。これはもう、悲惨なものです。先程申しましたように、エジソンは5000回も失敗しました。また、旧制度では司法試験は何度でも受けられた。極端な話、死ぬまで受けられました。ところが現在はたった3回までです。私が、諮問委員会の席上、「3回失敗した人間を如何にして救うかを議論すべきだ」と申しましたところ、この席ではその議論は相応しくないと一種の口封じがありました。そこでは私も折れましたが、終わってから議長らが寄ってきて「石川さんのいう通りだ。何とかして下さい」と言うのです。(そういう経緯を経て)北大は、現在、司法試験を3回落ちた人を、OBが責任を持って就職させることに決定し実行しています。
ところが、この制度を導入した国・政府は知らん顔です。これも先程申し上げたアメリカの「年次改革要望書」の一環です。アメリカは裁判という制度、司法制度を輸出してきたのです。
本来、学校とビジネスとはかけ離れたものです。倒産するのは当然の結果であると考えています。

私は入社式の挨拶でいつも「企業人1年目おめでとうございます」と言い、決して「社会人1年目おめでとうございます」とは申しません。人間は生まれたときからお父さん、お母さんと自分という3人の社会の社会人であり、幼稚園児はその世界の社会人であり、小学生然りです。卒業して社会人になるという考えはおかしいと思っています。もともと企業で働くためのことを学ぶために学校に行くというのはおかしいのです。ホロンティア精神を学ぶ、実学を学ぶ、本来の国際性を身につける、全人教育を受ける等々のために学校はあるはずです。そして学校を卒業したら、社会人になるのではなく、企業人になったり、官僚人になったり、文化人になったり、教育人になったりと、いわばプロフェッショナルになるのであって、大学を卒業したら社会人になるというのはおかしいのです。いずれにせよ、ビジネスと学校というものは相容れないものだと思っています。

千葉:有難うございました。 
次に、現在、大きな社会問題ともなっている「いじめ」「引きこもり」について、議論していきたいと思います。
(以下は次回)                                   

(注4)

法科大学院の課題と改善点を話し合ってきた中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の特別委員会は17日、入学者の質を確保するための定員削減などを提言した最終報告をまとめた。04年以降、74大学が開設した法科大学院は、乱立で入学者や修了者の質が議論になっていた。文科省は近く各校に報告を配り、定員削減を含めた対応を強く求める。(朝日新聞09.04.18)

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プロフィール

marchan

Author:marchan
千葉 糺(ちばただす)
1947年生

東京理科大学大学院修了(数学・複素関数論専攻)
平成14年~18年度学習院中等科長・高等科長。任期満了の後、学習院高等科教諭(平成19年~24年度)を経て
学習院名誉教授。

(写真は雑誌『Shi-Ba』V.43
から。黒柴マーちゃん,
愛猫いっちゃんと)

国画会彫刻家 故・千野茂氏にデッサンを学び、その後テンペラ画を中心に個展、グループ展等開催。

時間を見つけて谷中「全生庵」坐禅会参加。日本ユダヤ学会会員。
2007年、イスラエルを中心に旅行。


最近の紀要論文
(1)『イエス・千日で世界を変えた男の受難』─「『事実』と『真実』というaporia」─
学習院高等科紀要第5号(学習院高等科 2007年)

(2)『イスラエル・灼熱の旅 リポート』─荒野の民から学ぶ─
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)

(3)『ナザレのイエスはキリストか』=二千年前の一ユダヤ人の死をめぐる過ぎ去ろうとしない「過去」=
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)
(4)『ユダヤ灼熱の旅リポート2』
─平和ボケの民と臨戦態勢の民─
学習院高等科紀要第7号(学習院高等科 2009年)
(5)『聖書への旅』─「生きること」の意味を探して≪マタイ受難曲を聴きながら≫─
学習院高等科紀要第8号(学習院高等科 2010年)
(6)「パリサイ派とは何か」─現代に問う
補遺 聖書を側面から理解するために
学習院高等科紀要第9号(学習院高等科 2011年)
(7)─横顔・一七世紀オランダ絵画・印象派─西洋絵画についての一考察
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(8)聖書が私に教えてくれること
─『イザヤ書』、コルベ神父、そして山本七平─
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(9)四十年を振り返る
学習院高等科紀要第11号(学習院高等科 2013年)
(10)『院歌の周辺』 ─安倍能成 信時潔 岩波茂雄 頭山満─(学習院高等科 2014年)
(11)『ヘブライ語で学ぶ創世記Ⅰ』「ノアの箱舟」
(12)『これからの教育はどうあるべきか 数学者・秋山 仁先生との対談』(学習院高等科 2015年)
─ 今まさに問われていること ─
(13)『国際化とInternationalizeの狭間で』
─その大いなる溝─(学習院高等科 2015年)
(14)『これからを生きるために』─未来志向の経営の理念─(学習院高等科 2016年)
(15)『地球儀を傍らに』─教職追放 地政学 国際法 民主主義─(学習院高等科 2016年)

(写真は死海での筆者,
シナイ山頂での夜明け)

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