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第一回記念総会要約(1)

第一回「現代社会の問題を糺し未来の扉を開く会」
設立記念総会要約(1)



これまでお知らせして参りましたように、第一回設立記念総会を、4月4日(土)桜が満開のお堀端を見下ろす市ヶ谷私学会館・アルカディアで開催致しました。2時間半にわたる長時間にわたり、次の二部構成で行われました。



第一部
1.『糺の会』の設立趣旨の説明
2.現代社会の抱える問題点について

第二部
3.シンポジウム 議題:「教育」と「ビジネス」について


という内容で行いました。これから3回にわたって、その要約を本ブログで紹介して参ります。

第一部要約


1.設立設立趣旨の説明
現在、100年に一度という枕詞で、かつてない大きな揺れの中に私たちはいるわけです。私たちは、話し相手を自分と同じ「階層」に限定して話をするという社会現象が、多く見られると思っています。それは、「偏差値教育」の「成果」と言い換えてもいいと思います。
ここで一言ご説明すると、偏差値というのは、同学齢集団の中の「どのへん」に自分が位置するかを知るための数値であり、「絶対学力」「本来の学力」とは関係ない数値です。全体の絶対学力が低下していれば、ひどい点数でも場合によっては偏差値は高くなることもあるわけです。入試の競争相手は同学齢集団(せいぜい±2年まで)です。その小さな集団内部でどの位置を占めているかが重要であり、絶対学力などは問うに及ばないというのが、児童・生徒のおかれている実情であり、その世界で育った学生が社会に輩出されているわけです。
したがって、日常、付き合い、気にする範囲が同じ階層の人々ということに何の疑問も持たなく育ってきているわけです。階層毎に殻にこもっているという表現も外れてはいない、と思います。
そのこもっている現在の殻を破り、普段は話す機会がない分野の人たちと、衣を脱ぎ捨て、大いに多岐にわたって議論し、各々の今後の糧になるものを得るという場・機会が非常に少ないのではないかと漠然と考え始めたのが1年ほど前でした。
日本のシステムが良すぎたからjこうなったと言えます。良すぎて誰でも運転・運営できる社会になりつつあった。それが一旦、壊れ始めたら治し方を知っている人間が周りにいなかった、というのが現状でしょう。




私自身は所謂評論家でも専門家でもありませんが、ただ共に考え話し合うことはできるのではないか、あるいは、そういう場をつくることは(大袈裟に言えば)、これまで生きてきた私の役割ではないかと思われて来ました。評論家的発言では中途半端です。現代の抱える問題点について、一つ一つを掘り下げ、多いに話し合いながら、次の世代の若者に将来の希望を与えられる社会に向けてのほんの僅かでも、道筋をつける、希望の光が見えるような社会に向けて、扉を開けてあげる作業をする、そういう地道なことをやらなければと考え、こういう勉強会を作ることを考えたわけです。
ただ、勉強会を作る、それをNPO化するということに賛同してくれた人々(後ほど紹介させていただきますが)がいなければ、実現できることではありませんでした(実際は書類を都に収受された段階ですが)。
皆、本来の仕事がありながら、実によく協力してくれています。NPO(nonprofit organization)特定非営利活動法人、言い換えればすべて自己負担、手弁当で打ち合わせを重ねて参りました。また、最新のブログに書いたように、先月は、京都・糺の森のある下鴨神社に祈願し、清水寺の舞台に行って飛び降りる覚悟をして参りました。彼ら役員、社員(法人法でそう呼ぶ)には心から感謝しています。同時に、それに賛同されて本日ここにご来場の方々にも再度、お礼申し上げます。
話を少し前に戻して、現代社会について、観点を変えて考えて見ます。
大人が子どもに何かを「与える」という言葉を聞いた瞬間、真っ先に想像するのが「物質」や「金銭」かも知れません。ただ、金銭や物質を想像するのは、一時流行した「さもしい」ことかも知れません。大人が子どもに「与える」のは「物質」や「金銭」だけではないということはすぐに気づくはずです。優しさ、知恵、体験、忍耐力、健康、自由、納得、献身する姿勢、哀しみを通り抜ける術、不幸を受諾する勇気等々、物質や金銭以上に力を発揮するものはたくさんあるはずです。母親が子どもに与える究極は、どんな境遇にあっても耐える精神力と体力ではないか、と私は思っていますが、「与える」という歓びを大人が忘れつつあるのではないかと思います。
「与える」という点では大人は何より、子どもの手本となって影響を与えています。それが現在ではどうでしょうか。
決していい意味での手本ではなくなっています。
例えば、電車では立っていても座っていても一斉に手の中のケイタイを眺めている人たちが多い。片時も手放せなかったり、諦められなかったりするものがあるということは、中毒症状です。あのケイタイ族は一種の麻薬中毒患者とも言えるでしょう。
ケイタイで友だちは出来ないとか、パソコンでの知識は本を読んで得られる知識の足元にも及ばないということを教えないといけないはずの大人がこの惨状です。
逆に、子どもの言うことを聞く、いいなりになる親が民主的だと誤解すらしています。
今日の第二部で触れると思いますが、民主主義というのは非常に厳しいものです。「いじめ」についても後ほど触れると思いますが、「いじめ」の根源にはもしかしたら、民主主義にあるかも知れないということを自覚しながら、捉えないといけないのに、親も学校も民主主義というものを金科玉条のように教えています。子どもと親、子どもと教師は民主的、あるいは平等ではないはずです。平等というのは最低の人間関係であり、教育というのは教えを乞うものです。すべての名人芸・職人芸も平等でないところで完成したのです。それを大人が子どもに媚びを売るのではなく、きちんと教えるべきことです。
第二部の教育論に入ってしまいそうですので、ここでは「もらう」「受ける」という権利の主張ではなく、「与える歓び」を取り戻さなくてはいけない、とまとめておきたいと思います。
幸い私には多くの分野に友人・知人がいます。心強い恩師がいます。ここで言う恩師とは、その人がいてくれるというだけで、心の支えとなる人のことです。いろいろな機会にこれらの人々に自分の考えを披露し、多くの賛同を得られ、遂に今日に至りました。当然、時機尚早、分不相応、総論賛成各論反対等々の意見がありました。ですが、人間は取り敢えずの動物だとある哲学者が言っているよ うに、まずは始めることが第一ではないか、問題はその後で処理すればいいと考えた次第です。生じるであろう問題を予め想定し、それらを解決してから会を開くということは実質的に開かないことと同じではないかと考えました。
かつて小林秀雄が

「誤解されない人間など、毒にも薬にもならない。そういう人は、何か人間の条件に於いて、欠けているものがある人だ」

といい、また、

「困難は現実の同義語であり、現実は努力の同義語である」

とも言っています。これをまとめると、「誤解されつつ努力する」のがこの会の骨格と言えます。
最近は、学者・知識人も(多くの)政治家も、教員も、報道も正しいことしか述べません。
例えば「テロはいけない」「戦争はいけない」「人を殺してはいけない」「いじめはいけない」等々。そういう当たり前すぎるお題目を唱えさえすれば、良識ある人になれるこの薄っぺらい世の中が怖いと私は思います(その背景の具体的なことを語ろうとしません)。なぜテロが、戦争が、殺人が、いじめが起こるのかについてじっくりと掘り下げて話す必要があると思います。価値観の多様性を論じる必要があると思います。
価値観の多様性ということに関しては、親が「自分を深めるのは、学歴でも地位でもない。どれだけ人生に感動したかである」ということを子どもに教えることによって、価値観は変わるはずです。後でスタンピード現象という言葉が出ると思いますが、現在はまさにスタンピード現象・雪崩現象的に皆、同じ方向に向かっています。
そのためには、親自身が画一化されないことが重要です。
かつて陽明学の祖・中江藤樹が

「学問とは母を看ることなり」

と言い切ったことは、ブログに書かせてもらいました。身近において生じることはつねに具体的です。それに対応できない学問の抽象は無意味だという考えです。言い換えれば、学問とは、学ぶとは生活感覚と一致したものだということです。
それに対し、三つ最近の知識人の事例をお話しします。
①「国家は幻想である」と唱える講演をして、日本国の発行した紙幣を得、日本国の紋章のパスポートで海外に行く知識人がいること。(これに類する事例には事欠かないはずです)
②「援助交際は、個人的に交渉能力を持っていて、第三者の管理がなく、金銭を取る点で、立派な自己決定である。「私はあなたの所有物でない」ことを思い知らせるために金を取ると見事な発言をしている女性もいる」と、とうとうと書いている知識人。
(③は後述する中谷巌氏)
17世紀の中江藤樹が「母の面倒を見るのが学問だ」と言い切ったことと、最近の①、②の事例とのギャップ・乖離。そこには、知識人の落とし穴・ピットフォールがあります。
「自分が同意することは『正しいこと』でなければならない」という思い込みがあって、「理論的に正しくないことでも、実践的には容認する」という市井の人の生活感覚との乖離はここから生じると思われます。
第三に、「自分が同意することは『正しいこと』でなければならない」という、その典型が最近の一橋大学名誉教授というより、構造改革の旗手であった中谷巌氏の最近の言動だと思いますがそれは、第二部で話を致します。
この会はどのような組織に属するものでもありません。ただ、本音で問題点を糺して行きたいと思う人々の会です。正しく問題点を把握することによって、自ずと未来の扉を開く鍵が見つかりそうな気がする、それが私たちが、次世代にするべきせめてものことだと考える次第です。
以上が、おおよそのこの会の趣旨でございます。
ただ、人間は小さい存在です。地道にやれることをキリギリスではなく、蟻のように一歩一歩進んでいくことしかできないことを言い聞かせることも大事なことの一つです。「あるべき社会」ユートピアが、かつて存在したことなどありません。それを追うのではなく「あるべき社会」を構築「する気」を持つというのが、会の趣旨と言い換えてもいいでしょう。
次に、今後、取り上げていきたい問題点を、いくつか具体的に申し上げさせていただきます。

2.現代社会の抱える問題点


大分、現代社会の抱える問題点についてもここまでで触れてきましたが、もう少しだけ、付け加えてお話し致します。
次回11月のシンポジウムでは「高齢化『問題』と年金問題について」(仮題)として、議論したいと考えています。癌難民、老人医療、介護施設等々毎日のように報道されています。そこで、末期癌・末期医療が専門の医師と、毎週一回老人施設を訪ねている医師、この二人の臨床医と共に問題点を話してもらうこと。
それと、社会保障の一つである年金が、大きな社会問題となっています。「年金問題」についてアメリカ・コーネル大学大学院で学位を得た専門家を交え、また介護や医療施設面の観点からも話をしていければと計画しています。どれもが喫緊の問題だと考えたからです。これから実際に介護や医療施設の現場に足を運び、勉強会を開き、その集大成・ご報告の形で11月シンポジウムを開催する予定です。




次回11月のことについては、私が説明するより、本日、当事者が参加してくれていますので、会の最後の方で1分間スピーチをしていただく予定です。「問題」に括弧をつけたのは、高齢化になることは何十年も前から分かっていたことで、今急に起きたことではないと言うことです。つまり、分かっていたことに何も対策を立ててこなかったことも問題の一つだという意味です。少子化問題と言われるのも同じです。大学に入学する若者の数は、18年前から分かっています。それに対する対策を立てずに、あたかも急に降って湧いたかのように問題化するということが問題の一つだと言いたいのです。勿論、高齢化が大きな社会問題の一つであることを否定するものではありません。問題先送りという私たちの悪しき習慣と、問題事態とに区別して話すべきだということです。
 シンポジウムは年に2~3回と考えていますが、その次は、まだ漠然としたものですが、家族問題は取り上げなくてはと、考えています。家族が解体したので消費者金融(サラ金)がビジネスとして成功したと書いている本がありましたが、家族とは何かから、その家族が抱える問題点も喫緊の問題だと思います。ゲストをお招きしてのシンポジウムを考えています。

その他、経済問題や雇用問題、福祉、環境、食糧問題等々を考えています。また、昨夜、珍しい会に出席して、観光というものが今後の日本にとっていろいろな面で観点を変えて考える必要があるとい、非常に有意義な講演を聴いて参りました。既成の考えを見直してみるということも絶対に必要でしょう。
また、一回のシンポジウムでは終わらない重いテーマものもあると思います。クールダウンして再度、論じる問題もあるでしょう。今後、役員で話し合い、地道に進めていきたいと考えています。
また、皆様の喫緊のテーマとして取り上げるべきことがございましたら、後ほどお手元のアンケート用紙に書いてお教えいただきたく存じます。次に第二部に入らせていただきます。
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プロフィール

marchan

Author:marchan
千葉 糺(ちばただす)
1947年生

東京理科大学大学院修了(数学・複素関数論専攻)
平成14年~18年度学習院中等科長・高等科長。任期満了の後、学習院高等科教諭(平成19年~24年度)を経て
学習院名誉教授。

(写真は雑誌『Shi-Ba』V.43
から。黒柴マーちゃん,
愛猫いっちゃんと)

国画会彫刻家 故・千野茂氏にデッサンを学び、その後テンペラ画を中心に個展、グループ展等開催。

時間を見つけて谷中「全生庵」坐禅会参加。日本ユダヤ学会会員。
2007年、イスラエルを中心に旅行。


最近の紀要論文
(1)『イエス・千日で世界を変えた男の受難』─「『事実』と『真実』というaporia」─
学習院高等科紀要第5号(学習院高等科 2007年)

(2)『イスラエル・灼熱の旅 リポート』─荒野の民から学ぶ─
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)

(3)『ナザレのイエスはキリストか』=二千年前の一ユダヤ人の死をめぐる過ぎ去ろうとしない「過去」=
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)
(4)『ユダヤ灼熱の旅リポート2』
─平和ボケの民と臨戦態勢の民─
学習院高等科紀要第7号(学習院高等科 2009年)
(5)『聖書への旅』─「生きること」の意味を探して≪マタイ受難曲を聴きながら≫─
学習院高等科紀要第8号(学習院高等科 2010年)
(6)「パリサイ派とは何か」─現代に問う
補遺 聖書を側面から理解するために
学習院高等科紀要第9号(学習院高等科 2011年)
(7)─横顔・一七世紀オランダ絵画・印象派─西洋絵画についての一考察
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(8)聖書が私に教えてくれること
─『イザヤ書』、コルベ神父、そして山本七平─
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(9)四十年を振り返る
学習院高等科紀要第11号(学習院高等科 2013年)
(10)『院歌の周辺』 ─安倍能成 信時潔 岩波茂雄 頭山満─(学習院高等科 2014年)
(11)『ヘブライ語で学ぶ創世記Ⅰ』「ノアの箱舟」
(12)『これからの教育はどうあるべきか 数学者・秋山 仁先生との対談』(学習院高等科 2015年)
─ 今まさに問われていること ─
(13)『国際化とInternationalizeの狭間で』
─その大いなる溝─(学習院高等科 2015年)
(14)『これからを生きるために』─未来志向の経営の理念─(学習院高等科 2016年)
(15)『地球儀を傍らに』─教職追放 地政学 国際法 民主主義─(学習院高等科 2016年)

(写真は死海での筆者,
シナイ山頂での夜明け)

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