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日米の教科書を比較する(その一)

日米の教科書を比較する(その一)


 先日ある会で話した内容に加筆したものをご紹介したい。春季シンポジウムの多少予告編めいた内容になるかも知れない。

 つい暮れ頃までグローバルだ、TPPだと言っていたはずが一転して保護主義という風が吹き荒れてきた。
話し合いなどとは無縁の、強い者、つまり武器を持つ者の意見がまかり通るようになってきた。日本はどう舵を取れば良いのか分からなくなっている。であるが故に北朝鮮のミサイル、シリア情勢等々よりも、数週間も延々と森友問題などに拘って議論しているのかも知れない、と言うのは議員の先生に失礼であろうか。

今日は日本のこの右往左往ぶりについて考える。

葦津珍彦という思想家がいた。平成4年82歳で亡くなられた。彼の著作集は図書館にあるはずである。
その葦津珍彦が『土民のことば』という論文を出している。そこに現在の問題が凝縮されているような気がする。
自分の国に対する自信喪失。なぜ自信を失ったのか。

 いま大事なことは、小学生、中学生に日本という国の歴史をどう教えるかである。そのためには、現状はどうなっているのかを把握する必要がある。大学生、社会人では思考が固まっている、いや高校生でもそうかも知れない。
 こう言った瞬間、「右だ」「保守だ」というレッテルが自称「リベラル」の方々から貼られるであろう。しかし、「国民主義」なくしては「国際主義」は語ることが出来ないという「常識」は敢えて述べておきたい。

明治以降、特に第二次大戦について小学生、中学生にどう教えているかについて考えてみたい。

その前に、歴史とは子どもに自分の国への希望を与えるものでなくてはならない。
歴史と歴史学は違う。また、歴史はお互いの見解は理解できても、共通唯一の歴史は存在しない。どちらから見るかで異なるものだという「常識」も踏まえておくべきである。
葦津珍彦が『土民のことば』の中で言っている。

祖国が戦い敗れて全土を占領されたときにアメリカの占領軍は、日本人に対して民主主義教育を強行した。政治経済文化道徳宗教等あらゆるものの民主化が強行された。占領者が「民主的原則」として教示するところに一致しないすべてのものは、それが日本人社会の間に根の深い思想であろうと、愛着の強いものであろうと、それは非民主的だとして断罪された。武器を有(も)つ教師の教育はきびしかった。
アメリカ人は、自由で民主的な市民ではあるが、かれらは白人特有の偏見から抜けきれない。かれらの祖先は、かつて世界到るところに遠征したが、その土地で異人種を発見した。かれらは、異人種をその土地の土人、土民と呼んだが、かれらは自分をヨーロッパの土人とは云わなかった。白人こそは世界文明の主人だと信じていたからである。かれらは自らの思考、自らの感情をもって文明的だと信じており、土民の思考や感情には好奇心を感じたけれども、それは未開劣等のものだと断定して疑わなかった。日本を占領したアメリカ人が、日本特有の思考、感情に対して、これを土人のものと断定して蔑視したのは怪しむにたらない。日本の土民、神道人としての私が占領下に痛恨の思いをさせられたのも当然であった。
だが日本土民の感情思考を蔑視したのは、白人ばかりでなかった。日本人の中にも外人的な思考、感情を身につけなければ、民主的、文化的になれないと思いこんで、日本人の心情を非難し嘲笑した者が多かった。それは占領中ばかりでなく、今でも日本のマスコミは、それらの外人文化礼賛者に占領されているかの感がある。これは著しい戦後の風潮ではあるけれども、冷静に見れば日本文化の一つの特徴なのかもしれない。


占領中ばかりでなく、今でも日本のマスコミは、それらの外人文化礼賛者に占領されているかの感がある。
武器をもつ教師(アメリカ)の教育の「成果」の一つに、第二次大戦、特に「原爆投下」についての教科書での書き方がある。
日本の小・中学生にこれをどう教えているか、アメリカの同年代の世代にはどう教えているか、自信がないが比較してみたい。
その前に、アメリカの教科書はとても分厚い。アメリカには教科書の検定はなく、自由に教員が選ぶ。
何よりも教科書の扱いが根本的に違う。
ここで「を」と「で」ということを知っておいて貰いたい。
「を」・・・米国
「で」・・・日本(中国等)

どういうことか。
日本は教科書で教える。教科書はいわば骨と皮である。教員が項目について肉付けして教えていく。教科書を生かすも殺すも現場の教員の力量である。
一方、アメリカは教科書を教える。「教科書を教える」ためには優れた教科書が必要である。裏返すと「教科書で教える」ことには期待していない。そもそも教科書をすべて教えるという発想がアメリカにはない。「あとは読んでおくこと」である。教員にバラツキがあることも要因である。だから、どんな教員が教えても、生徒が自分で教科書を読めば分かるようになっている。
一方、日本の教科書は骨と皮だけ。
この「を」と「で」、ここを押さえておいて貰いたい。

本論に入ろう。
アメリカの教科書では、第二次大戦特に原爆投下をどう初等・中等教育で教えているだろうか。実際の教科書
Walter A. Hazen “World War Ⅱ”を見ながら説明したい。
IMG_030.jpg

(以下次回配信)

お詫びと訂正
春季シンポジウムのご案内葉書の曜日が間違っていました。
5月6日()に訂正お願い致します。
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プロフィール

marchan

Author:marchan
千葉 糺(ちばただす)
1947年生

東京理科大学大学院修了(数学・複素関数論専攻)
平成14年~18年度学習院中等科長・高等科長。任期満了の後、学習院高等科教諭(平成19年~24年度)を経て
学習院名誉教授。

(写真は雑誌『Shi-Ba』V.43
から。黒柴マーちゃん,
愛猫いっちゃんと)

国画会彫刻家 故・千野茂氏にデッサンを学び、その後テンペラ画を中心に個展、グループ展等開催。

時間を見つけて谷中「全生庵」坐禅会参加。日本ユダヤ学会会員。
2007年、イスラエルを中心に旅行。


最近の紀要論文
(1)『イエス・千日で世界を変えた男の受難』─「『事実』と『真実』というaporia」─
学習院高等科紀要第5号(学習院高等科 2007年)

(2)『イスラエル・灼熱の旅 リポート』─荒野の民から学ぶ─
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)

(3)『ナザレのイエスはキリストか』=二千年前の一ユダヤ人の死をめぐる過ぎ去ろうとしない「過去」=
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)
(4)『ユダヤ灼熱の旅リポート2』
─平和ボケの民と臨戦態勢の民─
学習院高等科紀要第7号(学習院高等科 2009年)
(5)『聖書への旅』─「生きること」の意味を探して≪マタイ受難曲を聴きながら≫─
学習院高等科紀要第8号(学習院高等科 2010年)
(6)「パリサイ派とは何か」─現代に問う
補遺 聖書を側面から理解するために
学習院高等科紀要第9号(学習院高等科 2011年)
(7)─横顔・一七世紀オランダ絵画・印象派─西洋絵画についての一考察
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(8)聖書が私に教えてくれること
─『イザヤ書』、コルベ神父、そして山本七平─
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(9)四十年を振り返る
学習院高等科紀要第11号(学習院高等科 2013年)
(10)『院歌の周辺』 ─安倍能成 信時潔 岩波茂雄 頭山満─(学習院高等科 2014年)
(11)『ヘブライ語で学ぶ創世記Ⅰ』「ノアの箱舟」
(12)『これからの教育はどうあるべきか 数学者・秋山 仁先生との対談』(学習院高等科 2015年)
─ 今まさに問われていること ─
(13)『国際化とInternationalizeの狭間で』
─その大いなる溝─(学習院高等科 2015年)
(14)『これからを生きるために』─未来志向の経営の理念─(学習院高等科 2016年)
(15)『地球儀を傍らに』─教職追放 地政学 国際法 民主主義─(学習院高等科 2016年)

(写真は死海での筆者,
シナイ山頂での夜明け)

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