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シンポジウム要約 3

シンポジウム要約 3


秋山 宮沢賢治先生はどうしてすばらしいか。賢治先生は今から約百年前、岩手県花巻の農学校、これは乙種の農学校です。勉強が嫌いな子が行ったのが乙種です。そこの先生を5年、たった5年しかやっていませんが賢治先生の授業を受けた教え子たちがみんな「賢治先生の授業は素晴らしかった」と言いました。なぜかというと、目に見えるように体験させてくれた、そして五感を総動員して物事を感じるように教えてくれた。賢治先生は本来、土壌学の先生でしたが、英語も国語も数学も、いろんな教科を教えてくれた。その時その時に応じて、生徒が興味・感心を抱くように、あるときは劇にして、あるときはディベート、あるときはディスカッションにして、あるときは飼育や栽培、観測をといういろんな体験をさせてくれた。ですから賢治先生の授業を受けた生徒たちは、そこで得た知識や技能は卒業後60年たった後も、ずっと役に立ったと言っています。これは私が聞いたのではなく、直木賞作家の畑山博さんという方が『教師・宮沢賢治の仕事』という本を出版されて書いておられます。

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賢治先生の授業はどうだったかを、教え子たちに聞いたこの本は一読に値します。賢治先生の授業が素晴らしかったということを考えてみますと、先ほど申し上げたセンターテストが800点だった優秀な人が、1年間で200点以上も剥落するような学びをさせるか。教え子はこう言っています。「賢治先生のように60年たっても学校で習った知識がずーっと役に立った、私はだから困ったことがない」。要するに、勉強を教えるというよりも、勉強の仕方を教えた。賢治先生は「魚は美味いぞ」、と言ってボーンと魚をくれたわけではないけれども、「腹が減ったら魚はこうやって釣るんだ」ということを教えたのです。

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賢治先生の授業は100ぐらい紹介されていますけれども、今日は時間の関係から一つだけご紹介いたします。先ほど申し上げましたように、賢治先生は土壌学の先生ですから、肥料のことについてお話しいたします。賢治先生は、五感を総動員して子供たちの脳裏に刻み込み、心にとけ込ませ、そしてそれが卒業後、いつでも活用できるような力をつけたい、こう考えました。賢治先生は、いつも授業の前に「お土産」と言って何か持って行った。「窒素は重要な肥料である」ということを教えるその日は、前の日に神社に行って奉納されている「しめ縄」を借りてきて、教室に担いで持ってきた。午後の授業だったので、先生が来る前に生徒たちは、深い眠りについていた。それをどうやって彼らの目を覚まさせて、身を乗り出して授業を聞かせるかということを、いつも考えていました。グループ学習でやろうか、ディベートで二組に分けてやろうかとか、今、やっとそういうことが出てきましたが、それを100年も前にやっていたのです。
「何だ、賢治が変なものを持ってきたぞ」と生徒がざわめきます。「しめ縄を盗んできたのか」とか言いながら。だいたい、先生のことを「ケンジ」と呼ぶのはけしからんと思いますが。千葉先生も、「タダス」と呼ばれていたかも知れませんね(笑)。それはさておき、まだ寝ている生徒もいますが、そうやって目を覚まさせる。「今日は、この変な形をしたしめ縄が何故、神社に奉納されているのか、それを考えるのが今日の目的である」と始めます。授業の最初に目的を言う。大学の先生の中には90分間、ずーっと授業を聞いていても、最後まで目的が分からない人がいます(笑)。そういう不思議な人がよくいるんです(笑)。声が小さくて聞こえない先生もいます。「先生、声が小さくて聞こえません」「何! 聞こえない? そういうときは心の耳で聞け!」と言ったり(笑)。
賢治先生は「今日はクイズでやろう。何でこんな変な格好のものが神社に奉納されているんだろう」。こういう風に、普段参加しない生徒を参加させることが重要です。全員参加させることができる先生は、凄い先生です。生徒が「先生、何かヒントをください」と言う。私は海外130くらいの学校で授業をしてきましたが、日本は学年が進むに従って段々、手を挙げる率が下がります。小学校では出来なくても、「ハイ」「ハイ」「ハイ」とみんな手を挙げます。中学校になると激減する。高校になると絶滅危惧種に指定されるくらい(笑)。大学などは絶対しない。これは参加していないという証左でもあります。アメリカでもイギリスでもドイツでもみんな煩いぐらい手を挙げます。「そんなことは予習して来いよ」と言いたいぐらいです。
賢治先生の授業に戻ります。

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「よし、ヒントをあげよう。これはお天気に関するもの3つを表しているんだよ」。
生徒が言います、「ウーン、天気か。だったら白いギザギザは雷の稲妻じゃないかな」。「よく分かったな」と賢治先生は言う。
賢治先生は3対1の原則、3つ褒めて1つ叱る。こうやって薪を背負って本読んでいる人がいますね、校庭の隅に(笑)。二宮尊徳先生。あの先生は3対2の原則、「可愛いくば五つ数えて三つ褒め、二つ叱って良き人となせ」。叱るというのは「いかる」とか「おこる」ということとは違います。叱るというのは相手が何故悪いのかをちゃんと理解できるように、理路整然と諭すことです。これはプロじゃないと出来ないことです。何故、15歳でたばこを吸ってはいけないのか、何故、万引きをしてはいけないのか等々ちゃんと分かるように言ってあげる。賢治先生は3つ褒めて1つ叱る。もっと言えば、その1つを叱りたい、そのために3つの褒めることを恒に用意しておかなくてはいけないのです。「お婆さんをバスに乗せてあげてたな」とか「教室の後ろの一輪挿しに綺麗なコスモスがかざってあったが、あれは家から持ってきてくれたのか」とか、その子の良いところを賢治先生はちゃんと把握していた。
しめ縄

褒めながら「この白いギザギザは御幣と言うんだぞ」と教えてやる。褒められると生徒は勇気百倍です。
ここにいる千葉先生の教え子、きっと褒められたんですね。だから下手なパソコンも一生懸命やっているわけです(笑)。
バーッと茎みたいに落ちてくるもの、「先生!それ雨だ!」。
「お前、凄い感性してるぞ!」と褒める。「あいつが褒められるんだったら、俺も褒められたいな」と考える。「この雨が出てくる横綱の綱みたいなのは雲じゃないですか」「そうだ、みんな今日は冴えてるな」「このしめ縄というのは雲と雨と雷を表しているんだ。雲があるところに雷が落ちる。そうすると、刺激されて雨になって空気の中には窒素が入っている。その窒素が雷の放電作用によって、空気から分離されて雨とともに地中に溶かし込まれる。窒素というのは農作物にとってはとても美味しい栄養なのだ。それをたらふく食べて豊作になる。そう!五穀豊穣を祈って雨よ、降れ!雷よ、落ちよ!と念じてこれが神社に奉納されているんだ」。ここまでは普通の先生、賢治先生はここではやめません。
「さぁ、みんな、このことを生涯忘れないように」と校庭に出る。
「先生! 何やるんですか」などと言いながら生徒は興奮しています。
「さぁ、君たちに質問がある。この村で一番よく雷様が落ちるところはどこか?」
「先生、この間あの松の木に落ちて、枝が折れました」とか、「あの変電所に落ちて、うちは停電になりました」とか「火の見やぐらに落ちました」とかいろいろ言います。
「では、火の見やぐらは近いから行ってみよう」とみんなを連れて行きます。生徒は歌など歌っていきますが、賢治先生は道すがら、田んぼの稲の生育状況を自分の手で触って確かめなければいけない。
「先生!ここは穂はいっぱいあるんですが実が薄い」と言うと「原因を究明しなさい」と言う。
「あっ!ここは雑草で養分をとられているみたいです」「あっ、ここは水が枯れて、穂が枯れています」とか生徒が答える。いろいろ体験させながら、火の見やぐらのそばに行ってみると、子供たちもびっくり。穂もたわわに豊作。賢治先生は胸を張って「私が教場で言ったことが真実であるということを理解したか!」と言います。理解していない生徒もまだたくさんいます。「級長、君はあそこの角のこの田んぼの持ち主のところへ行って聞いてきなさい、特別な肥料をやっているのかどうかを」。級長が急いで聞いてきて「報告します。持ち主のところで聞いてきましたら、特別の肥料もやっていないのに、毎年、豊作続きで気味が悪い、と言ってました」。賢治先生は言います、「雷がしょっちゅう、ここには落ちている。雷が落ちるということは、窒素を撒いているということなんだ。窒素というのが作物にとって、いかに重要なものであるかということが諸君は分かったか。窒素の他にもリン、カリ、この三つが三大肥料である。その混合比率を決めることによって、最大の収穫を得ることが出来る。その混合比率を決めるにあたって、夏の日照時間、降雨量等々、土壌が酸性かアルカリ性かというものも重要になって来る。これらのことを連立方程式というものを使って、答えをのぞめるのである。その連立方程式をこれから教室に帰ってやろう」。
要するに、賢治先生の授業は一つずつストーリー性があってわくわくします。子どもたちが自ずと引き込まれていきます。スリルとサスペンスが満ち溢れている、そういう授業です。そして、賢治先生が常々、学生に言っていたかというと、「授業は感動である」。「君たちは、ただ感動してくれさえすれば良いのだ。先生は分からないところは何度でも説明して、諸君を感動させようと思っている」。
賢治先生の教え子たちの証言をちょっとだけ紹介しましょう。

生徒の証言
1)「賢治先生は目に見えるように教えてくれました。肥料の教科書にはチリ硝酸とか石灰窒素、硫酸アンモニア、過リン酸石灰など舌を噛みそうな薬品の名前がズラズラと出てくるんですよ。それに〇がついていたり線でつながっていたり、罰点が書いてあったりして、要するに、これとこれは混ぜてはだめとか、割合はどうとか、数学の計算みたいなことばかり出てくるんですよ。そんな私は下手でした。ところが賢治先生の教えは目に見えるので頭に入ってきました」

2)「私はこの地で農業一筋の人生を送ってきました。冷害があったり、ここらで使われる牛の堆肥の種類が見た目には分からないけれども、水不足になったり、害虫に悩まされたり、いろんなことがありました。でもその都度、賢治先生から教わったことを基に、自分で考えて判断してやってこれたので、一度も困ったことはありませんでした」

こういう証言を何百と畑山博さんが調べてきました。この本は20年くらい前のものですから、教え子の方々もご健在であっても現在は90歳を超えていると思われます。
宮沢賢治はこういう先生だったのです。「雨ニモマケズ」などの詩人とか劇作家とか、そういうことで異才を放っていることはみなさんご存知でしょうが、教育者としても素晴らしい方でした。

物理学者アーネスト・ラザフォード(Ernest Rutherford 1871年8月30日 – 1937年10月19日)の言葉:「概念や法則、新しく得た結果を素人にも単純で非専門的な言葉で説明できないならば、あなたはまだ本当の意味でそれらの内容について理解できていない」

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要するに「これは難しいから君たちには無理だ」というのは結局、その人が何もわかってはいないんだと言っています、私ではなくラザフォードが(笑)。

まとめをこれから3分でやります(笑)。
まとめた後、もし賢治先生が数学を教えたら─実際に数学も教えていますが─どういう風にするかということを1,2トピックとして「実況中継」します。

まとめ
想定外に対応できる人材というのは、粘り強く集中力がある。知的好奇心に満ち溢れていて、タフに思考できる人、こういう人が大切です。そういう能力は「促成栽培」ではうまくいかない。長く時間がかかる。そのために先生がしなくてはいけないのは、先生自身が、無限に広がる知の素晴らしさに感動し、情熱と使命感を持ってそれを生徒たちと共有しようという努力を惜しまないこと。その松明(たいまつ)の火が、生徒たちの心に、知に対する憧れの火を強く灯すことになる。
先生の情熱、たくましい意志、こういうものが重要なのです。
今すぐ出来そうなことを5つにまとめました。
1)    日ごろの学習において暗記一辺倒から脱出し、試行錯誤の上、自分で考えなければ結論を導けないようなプロジェクト学習、課題学習を取り入れること。
2)    実験、観測、ものづくりや取材や討論、ゼミ形式を通じて観察力、思考力、分析力、判断力、コミュニケーション能力、そういうものを体得させること。
私は文科省の2002年からのカリキュラムの作成に携わった審議委員です。そこで考える能力を身に着けさせること、感じる感性を育て上げることが大事だと思い、有馬先生や西沢先生や三浦朱門先生という方々20数人で審議会をやって、「考えるゆとり、感じる感性を育てる教育」にしていこうということで、カリキュラムを作りました。ところがそれが世に出る前からコテンパンにやっつけられました。学力低下につながる、あんなものは駄目だ!とボコボコにやられました。今生きて皆さんにお目にかかれるのが不思議なくらいやられました(笑)。デマもいろいろ飛び交って、円周率が3になるなど一度も決まったことも、言ったこともないのにまことしやかにです。皆さんの中にもそれを信じていらっしゃる方がおられると思います。文部広報で何度も否定しました、そんなことはないと。ところが、電車のつり広告にまで「四角い頭を丸くします」とか出ました(笑)。「あなたのお子さんは馬鹿になります。是非、うちの塾に」とか。あの頃のことは思い出したくもない(笑)。でも、こういうことは時間がかかってもやるべきです。考えるゆとり、感じるゆとりなのです。だらけていい加減にやっているのは駄目になる、という当たり前のことなど一度も言ったことはない。ところがそうねじ曲げて取られたのです。
3)    一発勝負の短時間のテストではなく、オープンエンド、要するに答えがいろいろあり得る、そういうことにも時間をかけて挑戦させる。
4)    問題解決能力だけをそだてるのではなくて、新しい新分野を切り開くような疑問や発想を尊重し、不思議を感じる感性、良質な問題や課題を見つける問題発見能力を身につける。問題発見能力─私は数学者として言うならば、かなり知能が低い。数学者というのは世界に優秀な人が、カナブンのようにいっぱいいます。でも、今、何とか生き残っているのは、学問を発展させる能力を持った方々というのは素晴らしいと思います。ですが、みんなが関心を持つようなテーマを見つけることも大切です。2000年でしたか、京大の森先生がフィールズ賞を受賞されて朝日新聞の記者がどういうわけか私の所に取材にきて、「森先生の理論について、朝日新聞の読者にわかるように解説してくれ」という、無理な注文を受けたことがあります。そんなことは私もわからないし、けれども社旗を翻してやってきた論説委員にそのまま帰すのも気の毒だと思い、リップサービスで「数学なんていうのは、1+1が2になると言うことを積み重ねていけばいいんです。そんなものです」と言ってやりました(笑)。「そんな簡単でもないのですが、日常生活をつつがなく送ることが出来る人は、努力次第で少なくとも大学院卒業くらいまでは行けるよ」と言うと、彼は「日常生活をつつがなく送ることが出来る能力をもう少し、具体的に言ってください」と聞いてきた。「例えば、靴を揃えて自分の靴箱にしまう能力、知らない単語を辞書で引くことが出来る能力、今まで作ったことのない料理、例えばカレーライスを本を見ながら作れる能力、最寄りの駅から自分の家までの経路を描ける能力」と答えました。「この4つが出来ても数学が出来ないとしたら、原因は簡単、怠け者だと言うことです」と聞いて喜んで帰って行きました。2,3日たって驚きました。論説委員が書く記事というのは社説です。「カレーライスが作れれば、フィールズ賞も夢ではない」(笑)。「東京理科大学教授・秋山仁教授はこのように言っている。①下駄箱に靴を入れる②・・・」と書いた(笑)。全国から賛否両論。「これから頑張るぞ」とか「馬鹿野郎!いい加減なことを抜かすな!」「俺はその4つのことが出来るけど、3浪して代ゼミに行っている」とかいろいろありました。ただ、だいたいそんなものだと私は思っています。フェルマーの予想って知ってる? x+y=z このnというのは指数─当てないから安心して(笑)─nが2だったらピタゴラスの定理、三平方の定理だよね。この組み合わせは、3,4,5のときや5,12,13の組とか無数にあります。ただ、「nが3以上になるとなくなる」という予想をフランスの弁護士かつ数学者・フェルマーが立てました。「私は首尾良く証明できたのだが、残念ながらノートの余白がない」と言って亡くなった人騒がせな人でした。それ以後、400年ぐらい多くの人々が証明できたと(フェルマーが)言っているんだから、証明しようと取り組みました。そして、やっと1986年だったかにワイルズが証明しました。そのときに、やはり記者が来て「ワイルズとフェルマーとどちらが偉いか」と質問した。ノーベル賞受賞の小柴先生もときどき変な質問しますね。「モーツァルトとアインシュタインのどちらが偉いか」と。両方偉いと思いますが、小柴先生はどうもモーツァルトの方が偉いと言いたいらしい。モーツァルトはモーツァルトにしか出来ない曲だけれども、アインシュタインについては、普遍的真実なので、アインシュタインが見つけなくても誰かが見つけただろう。そういう意味で、モーツァルトの方が偉いと言いたいらしい。「そうとは限りません」とこの前、言ったらムッとしていました。さて、「ワイルズとフェルマーとどちらが偉いか」、私はフェルマーだと思います。だって、350年以上の間、人々をときめかしたんです。挑戦に駆り立てた。そしてこれを解決するために、整数論だとかいろんな新しい分野が発展していったのです。ワイルズは頭はいい、尊敬はする。だけども人類をときめかして、感動の坩堝に誘ったのはフェルマーだと思います。反論はあるかも知れませんが、反論は聞かない(笑)。
5)    先生つまり優れた指導者の育成により一層力を入れること。先生が一番重要です。絵、音楽、数学なんでも必死にやろうという気を起こさせる、そういうことが最初は大切です。最初のきっかけは好奇心です。「学問の原動力は好奇心である」と私は思っています。私は、教師にとって一番重要な仕事は「Inspire」だと思うのです。哲学者であり教育者でもあったウィリアム・アーサー・ワード(William Arthur Ward 1921-1994)という人物の言葉に次の一節があります。

The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The excellent teacher inspires.



良い教師は丁寧に教えてくれる。
もっと良い教師は自ら手本となる。
最高の教師はやる気にさせる。
この文末の「inspire」が教育の原点で、あとは子どもたち自身が幸運をつかみ取る力があるかどうか。そのためには教師は子どもたちに感動を与えなければなりません。それが教育の目的なのですから。
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これらの5つが非常に大事だと思います。
ノーベル賞受賞者たちに記者たちが「どんな能力が大切だと思いますか」とマイクを出したとき、異口同音にいう言葉、気がついていますか? それはSerendipity という言葉です。Serendipity とは偶然何か良いものを発見する才能のことを言います。田中耕一さん、白川秀樹さん、小林誠先生も、ほとんど偶然発見しました。偶然です。一方、偶然発見しているのに気づかない人がいる。それは感性です。
(この後、立体図形に関する実演が行われた)
これ以上はやめて、これから討論をいたします(拍手)。
(以下、次回配信)

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プロフィール

marchan

Author:marchan
千葉 糺(ちばただす)
1947年生

東京理科大学大学院修了(数学・複素関数論専攻)
平成14年~18年度学習院中等科長・高等科長。任期満了の後、学習院高等科教諭(平成19年~24年度)を経て
学習院名誉教授。

(写真は雑誌『Shi-Ba』V.43
から。黒柴マーちゃん,
愛猫いっちゃんと)

国画会彫刻家 故・千野茂氏にデッサンを学び、その後テンペラ画を中心に個展、グループ展等開催。

時間を見つけて谷中「全生庵」坐禅会参加。日本ユダヤ学会会員。
2007年、イスラエルを中心に旅行。


最近の紀要論文
(1)『イエス・千日で世界を変えた男の受難』─「『事実』と『真実』というaporia」─
学習院高等科紀要第5号(学習院高等科 2007年)

(2)『イスラエル・灼熱の旅 リポート』─荒野の民から学ぶ─
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)

(3)『ナザレのイエスはキリストか』=二千年前の一ユダヤ人の死をめぐる過ぎ去ろうとしない「過去」=
学習院高等科紀要第6号(学習院高等科 2008年)
(4)『ユダヤ灼熱の旅リポート2』
─平和ボケの民と臨戦態勢の民─
学習院高等科紀要第7号(学習院高等科 2009年)
(5)『聖書への旅』─「生きること」の意味を探して≪マタイ受難曲を聴きながら≫─
学習院高等科紀要第8号(学習院高等科 2010年)
(6)「パリサイ派とは何か」─現代に問う
補遺 聖書を側面から理解するために
学習院高等科紀要第9号(学習院高等科 2011年)
(7)─横顔・一七世紀オランダ絵画・印象派─西洋絵画についての一考察
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(8)聖書が私に教えてくれること
─『イザヤ書』、コルベ神父、そして山本七平─
学習院高等科紀要第10号(学習院高等科 2012年)
(9)四十年を振り返る
学習院高等科紀要第11号(学習院高等科 2013年)
(10)『院歌の周辺』 ─安倍能成 信時潔 岩波茂雄 頭山満─(学習院高等科 2014年)
(11)『ヘブライ語で学ぶ創世記Ⅰ』「ノアの箱舟」
(12)『これからの教育はどうあるべきか 数学者・秋山 仁先生との対談』(学習院高等科 2015年)
─ 今まさに問われていること ─
(13)『国際化とInternationalizeの狭間で』
─その大いなる溝─(学習院高等科 2015年)
(14)『これからを生きるために』─未来志向の経営の理念─(学習院高等科 2016年)
(15)『地球儀を傍らに』─教職追放 地政学 国際法 民主主義─(学習院高等科 2016年)

(写真は死海での筆者,
シナイ山頂での夜明け)

「現代社会の問題を糺し未来の扉を開く会」

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