現代社会の問題を糺し未来の扉を開く会
2014年4月5日
シンポジウム要約 1
批評家・小林秀雄は講演録の活字化を絶対に認めなかったということが、『学生との対話』の中に書かれています(密かに出版社が録音していたものを、ご家族の許可を得て活字化・出版されました)。それで行こう!と考えたことも事実ですが、活動の一つに「広報」がありますので記録は残さねばと思い直し、大変遅ればせながら、昨春2014年4月5日アルカディア市ヶ谷(私学会館)で行われた、秋山仁先生との対談の要約(1)を配信いたします。
当日は、約70名という非常に多くの方々のご参加をいただきました。配信が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
総合司会 本日の総会のテーマは「これからの教育について」です。今回は講師として、大変ご高名な東京理科大学教授・秋山仁先生をお招きして基調講演をいただき、その後、本会の不変のテーマであります「教育」についてより深く考えてまいりたいと思います。
私たちにとって、また日本の未来にとって、大変重要である教育に関する問題は皆様それぞれの御立場により、ご意見も多様なものになると存じます。たくさんのご意見をいただき、白熱した2時間半になるであろうと考えています。それでは初めに『糺の会』の代表・千葉糺からご挨拶を申し上げます。
千葉 大学や社会で「グローバル人材育成」という言葉が、頻繁に聞かれるようになりました。多くの大学が教育目標に掲げていると思います。
グローバル人材とは「英語で意思疎通ができるホワイトカラーの常用雇用者」のことを指すようです。大学には、そのような人材を育てるべく、外国人教師の増加や授業の英語化、留学を組み込んだカリキュラム改定などが要求されています。
「国が発展すると、必然的に語学力が低下する結果に至ることを当局者は認識しておく必要がある」と警鐘を鳴らしたのが夏目漱石。1911年のことです。
「日本語は文章、演説には不便なのでこれからは英語を用いることだなどという愚かなことを言う者がいる。これは日本語の機微というものを知らないからだ」と福澤諭吉は当時の文部大臣・森有礼(もり ありのり)を強く批判しました。漱石の30年ほど前、1876年のことです。
今から100年以上前にこういったことがありました。
われわれは現在、グローバル人材とは一体何なのか、本質もあまり考えずに突き進もうとしています。
上手く物事がいかないと「改革が足りないからだ」と猛進しているように思われます。
この問題に限らず、これからの日本の教育について、私たちは今、立ち止まり真剣に考えなくてはいけない時です。
本日は著名な数学者・秋山仁先生をお招きし、大学生や大人の「これからの教育」について啓蒙的活動をされておりますが、今日は皆様とご一緒に、多岐に渡って話し合い有意義な、そして楽しいひとときにしたいと考えております。
秋山先生のごく簡単なプロフィールはレジュメに示しています。中学の同級生という方もいらっしゃいます。もしもプロフィールの中で間違っていたら、ご指摘をお願いいたします。
スライドお願いします。
レジュメでお分かりのように、ほぼ同年代、所謂「団塊の世代」です。
次のスライドお願いします。秋山先生と私との関係を簡単にお話いたします。
共通の恩師・辻良平先生に学部時代学びました。
大学院は外堀を隔てて、千代田区と新宿区になりましたが、科学の女王と言われる数学を専攻しました。
数学は元来、哲学とほぼ同義語ですが、秋山先生はミシガン大学等々で研鑽を積まれ、「数学」の当時の新分野である「グラフ理論」という分野で数多くの論文を発表されています。他にもどのようにして児童、生徒、学生、大人に数学あるいは算数を通して、知に関心を持たせるか、啓蒙的活躍をされていることはご存じと思います。
一方の私は、哲学・思想の分野に関心を持ち、現在も私塾に属しています。
恩師の辻先生が末期癌と分かって以来、秋山先生は病院との交渉というような間に立って、私は忠岡先生や平野先生のご教示を受けて、病状の進行等についてご家族に連絡していました。それぞれ辻先生に何分の一かの恩返しをしたかなと思っています。
ただそれは、相談せずに結果的にであって、先日、秋山先生と最近、理科大で会ったのは30数年ぶりになります。神楽坂の居酒屋で会ったのが最後だったかなと思います。
団塊の世代は哲学がない、と最近の月刊文藝春秋に書いていましたが、ここにあげた二人の政治家を見ると納得してしまいますが、お互い理学すなわち哲学的思考の道を歩んで今日に至っています。
次のスライドお願いします。秋山先生を言葉で表すとき、真っ先に浮かぶのは「アウトサイダー(局外者)」という言葉ではないでしょうか。
アウトサイダーの反対語は「インサイダー」です。
秋山先生の活躍を見ると、アウトサイダーでもありますが、理科大の数学体験館長、評議員等々、インサイダー的なご活躍もされていますから、アウトサイダーではなく、インサイダーでもない。マージナルマン(境界人)という表現がぴったりだなと思っています。
スライドお願いします。マージナルマン(境界人)と言いましたが、それは何も大学運営のことだけではありません。
数学者と言った瞬間、元々(数学が)得意だった人だったのではないか、という言い方がしばしばされますが、秋山先生の書かれた著書にはいくつものエピソードが出てきます。例えば、こんなことが書かれています。
高校の数学の授業中当てられて、何も分からないところを先生に「分からなかったら質問するもんだ」と言われた。
そこでとっさに、黒板に書かれていた文字を見て「その10グラムって何ですか」と聞いたら「馬鹿者! これは対数の記号でログと読むんだ」と叱られた。しばらく10グラム男という名がついたとか。
そういう数学が分からない人間の苦しさを知っている、という意味でもマージナルマン(境界人)だと思います。
もう一つ、「日本人,外国人」と書きました。親に甘えずに自立しなければとアルバイトをあれこれされた中で、スナックのバーテンもしたことがある。そこでお客を呼ぶためにそこのママさんに「英語を話すインド人になりなさい」と言われ、ドーラン化粧をしてたいそう人気が出た。人気が出過ぎて本物のインド人を連れてきたお客さんがいて、偽物だとばれたという話もあります。日本人と外国人のマージナルです。
スライドお願いします。本来、シンポジウムSymposiumの原義は、激論の場ではなく、「饗宴」という意味です。Symは英語のwithの意味です。
質疑応答の時間も十分取りたいと思いますが、内容に関係あることならば、対談中でも、英語のExcuse me(ちょっとすみませんが)と言って、どうぞ大いに割り込んで下さい。逆にこちらからもそうさせていただきます。その方が、より活発な議論が展開できると思います。
基調講演、質疑応答に十分な時間を取りたいと思い、以上で私の挨拶を終わらせていただきます。
総合司会 それでは秋山先生、よろしくお願いいたします。
(以下、次回配信)
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